歌川広重と葛飾北斎の違いは?画風や死生観を徹底比較

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歌川広重と葛飾北斎の徹底比較。画風、死生観、市場価値の違いをテーマにしたスライド資料の表紙。

こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。

日本の美術史における二大スターといえば、やはり歌川広重葛飾北斎ではないでしょうか。名前は聞いたことがあるけれど、具体的に歌川広重と葛飾北斎の違いは何なのか、どっちがすごいのかと聞かれると答えに迷ってしまう方も多いかもしれません。実はこの二人、単に絵のタッチが違うだけでなく、性格や世界の見え方、そして人生の最期に残した言葉に至るまで、驚くほど対照的なんです。

この記事では、二人の代表作である浮世絵の比較はもちろん、現代の市場価値や死生観といった深い部分まで掘り下げていきます。二人の違いを知ることで、美術館での鑑賞がもっと楽しくなるはずですよ。

この記事で分かること
  • 歌川広重と葛飾北斎の画風や構図における決定的な違い
  • 二人の性格や死生観が表れている辞世の句の比較
  • 現代のオークション市場における評価額と人気の理由
  • 初心者でも楽しめる二人の作品の見分け方のポイント
目次

歌川広重と葛飾北斎の違いに見る画風と特徴

まずは、私たちが一番目にする「絵」そのものの違いから見ていきましょう。二人が描く風景画は、一見すると同じ「浮世絵」のジャンルですが、そこには世界をどう捉えるかという根本的なアプローチの違いが隠されています。

どっちがすごいか構図や視点で比較する

北斎の「構造の魔術師(驚き)」と広重の「共感の詩人(安らぎ)」というキャッチコピーによる対比図。

よく「どっちがすごい?」と比較される二人ですが、凄さのベクトルが全く異なります。

結論から言うと、北斎は「構造の魔術師」、広重は「共感の詩人」だと私は考えています。

葛飾北斎の作品、例えば有名な『神奈川沖浪裏』を思い出してみてください。あの波は、円や三角形といった「幾何学的な図形」で計算し尽くされて描かれています。北斎にとって風景とは、ありのままを写すものではなく、自分が頭の中で設計した「最強にカッコいい形」に再構築するものだったんですね。

一方で、歌川広重の魅力は「臨場感」です。広重は視点を旅人の目の高さに置くことが多く、絵を見ている私たちが「まるでその場にいるような感覚」になります。北斎が「うわっ、すごい!」と驚きを与えるのに対し、広重は「ああ、懐かしいな」という安らぎや没入感を与えてくれるのです。

ここがポイント
  • 北斎:大胆な構図と幾何学的な設計で「驚き」を与える。
  • 広重:旅人の視点と臨場感で「共感」を呼ぶ。

富士山や雨の表現に見る自然観の差

自然の描き方にも、二人の性格の違いがはっきりと表れています。

北斎が描く富士山は、時に赤く染まり(赤富士)、時に波の彼方に小さく見え、常に画面の中で強い存在感(シンボル)として機能しています。色はコントラストが強く、現実離れしたドラマチックな演出が特徴です。

画像出典:葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(1830-32年頃、インディアナポリス美術館蔵)。出典:Wikimedia Commons

対する広重は、雨、雪、霧といった「気象条件」を描くのが天才的に上手です。特に雨の描写は、直線を交差させることで雨の強さや湿度まで感じさせます。広重の絵には、季節の移ろいや風の冷たさといった「情緒」が溢れているんです。

画像出典:歌川広重「東海道五拾三次之内 土山 春之雨」(1833-34年、国立国会図書館蔵)。出典:Wikimedia Commons

ベロ藍の色使いと描写のテクニック

二人の時代、1830年代に海外から輸入され、浮世絵界に革命をもたらしたのが「ベロ藍(プルシアンブルー)」という鮮やかな化学染料の青色絵具です。この新しい色の使いこなし方にも、二人の個性が色濃く反映されています。

北斎の「ベロ藍」:鮮烈なコントラスト

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
画像出典:葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(1831年頃、メトロポリタン美術館蔵)。出典:Wikimedia Commons

北斎はこのベロ藍の可能性にいち早く飛びつき、『富嶽三十六景』シリーズの初期においては、あえて輪郭線まで藍色で摺る「藍摺り(あいずり)」という手法を多用しました。北斎はこの青を使い、空の深淵や海の冷たさを表現しましたが、その使い方は非常に強烈でコントラスト重視です。彼の描く青い空や海は、どこか硬質で透明感があり、現実の空色というよりは、北斎の脳内にある理想的な「青の世界」を具現化したもののようです。この鮮烈な青色は「北斎ブルー」とも呼ばれ、後の印象派の画家たちにも多大な衝撃を与えました。

広重の「ベロ藍」:抒情的なグラデーション

歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
画像出典:歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」(1857年、メトロポリタン美術館)。出典:Wikimedia Commons

一方、広重はこの青を「ぼかし」の技術とともに巧みに使いこなしました。彼は版木を濡らして絵具を滲ませる「一文字ぼかし」などの技法を駆使し、空の頂点から地平線にかけての美しいグラデーションや、水面の深さを表現しました。広重にとってのベロ藍は、形を際立たせるための線ではなく、空気感や時間帯(特に夜明けや黄昏時)を表現するための「光と影」のツールでした。夜空に浮かぶ満月や、静かな川面を描く際に使われた広重の青は、見る人の心に染み入るような静寂と哀愁を誘います。

この使い方の違いが、北斎の「鋭さ・強さ」と広重の「優しさ・柔らかさ」を生んでいる要因の一つなのです。

代表作の東海道五十三次と富嶽三十六景

二人の代表作が、実はほぼ同時期(1830年代前半)に発表されていたことをご存知でしょうか。これは日本の出版文化史における奇跡のような瞬間です。

北斎の挑戦:『富嶽三十六景』

1831年頃から刊行が始まった『富嶽三十六景』は、当時70代という高齢に達していた北斎の集大成とも言えるシリーズです。全46図からなるこのシリーズは、当時流行していた「富士信仰」を背景にしつつも、従来の「名所絵」の枠を打ち破る斬新なものでした。各地から見える富士山を描くというコンセプトですが、北斎は場所の説明よりも「いかに面白い構図で富士を見せるか」に注力しました。巨大な桶の中から見たり、波の隙間から見たりと、そのアイデアの豊富さは圧巻です。このシリーズによって、風景画は役者絵や美人画と並ぶ浮世絵の主要ジャンルへと押し上げられました。

画像出典:葛飾北斎「富嶽三十六景 尾州不二見原」(1830-32年頃、メトロポリタン美術館蔵)。出典:Wikimedia Commons

広重のデビュー:『東海道五十三次』

北斎が不動の地位を築こうとしていたその時、1833年頃に突如として現れたのが、30代の新鋭・広重による『東海道五十三次(保永堂版)』です。全55図からなるこのシリーズは、江戸から京都への旅路を描いたもので、当時の「お伊勢参り」や旅行ブームに乗って爆発的なヒットとなりました。広重の描く東海道は、単なるガイドブック的な絵ではありません。そこには、旅の途中で起こるハプニング、宿場町の名物料理、朝霧の中の出発など、旅そのものの楽しさや苦労、そして道中の人々の暮らし(哀歓)がドラマチックに、かつユーモラスに描かれています。北斎が「聖なる富士」を描いたのに対し、広重は「俗なる人の営み」を旅というテーマに乗せて描いたのです。

年齢差とライバル関係が生んだ相乗効果

北斎と広重には約40歳もの年齢差があります。現代で言えば、大御所のアートディレクターと、新進気鋭の若手イラストレーターくらいの差があります。親子、あるいは祖父と孫ほど離れていますが、この二人の関係性は非常にスリリングです。

記録によれば、二人が直接言葉を交わしたり喧嘩をしたという明確な証拠は残っていませんが、作品を通じた「無言の会話」は確実に行われていました。広重がデビューした頃、北斎はすでに生ける伝説でしたが、広重の『東海道五十三次』の大ヒットは、北斎にとっても無視できない出来事だったはずです。事実、広重は北斎の大胆な構図(例えば、画面手前に極端に大きな物体を置く手法など)を研究し、自身の作品に取り入れています。逆に北斎も、広重の叙情的なスタイルや大衆人気を意識し、晩年の作品においてより細密で色彩豊かな表現を模索した形跡が見られます。

広重は後に『富士三十六景』という、北斎の代表作と同名のシリーズも手がけています。これは偉大な先達へのオマージュであると同時に、「自分ならこう描く」という挑戦状でもあったでしょう。この40歳差のライバル関係が、互いの創作意欲を刺激し合い、浮世絵風景画を世界最高峰の芸術へと高める原動力となった可能性は大いにあります。

画像出典:歌川広重「富士三十六景 駿河薩埵之海上」(1858年、ブルックリン美術館蔵)。出典:Wikimedia Commons

歌川広重と葛飾北斎の違いと評価や死生観

ここからは少し視点を変えて、彼らの内面や、現代における評価の違いについて見ていきましょう。ここを知ると、二人の絵がもっと愛おしく見えてきますよ。

性格が表れる旅への執着と現世への思い

性格と人間味の比較。絵への狂気的な執着を持つ「画狂老人」北斎と、人々の生活への優しい眼差しを持つ広重をアイコンで表現したスライド。

二人の性格は、残されたエピソードからも水と油ほど違っていたことが分かります。

北斎は自らを「画狂老人卍」と名乗るほど、絵を描くことに狂気的な執着を持っていました。彼は生涯に90回以上も引越しを繰り返し、部屋が散らかったら掃除をするのではなく引っ越すという徹底した「絵以外どうでもいい」スタイルを貫きました。金銭にも無頓着で、稼いだ金はすぐに使ってしまうか、封も開けずに放置していたと言われています。彼の関心は「森羅万象を描き尽くすこと」一点にあり、人間関係や世俗的な成功にはあまり興味がなかったようです。彼の描く人物がどこか記号的で、風景の一部として機能しているのは、そうした性格の表れかもしれません。

一方、広重は定火消同心という、幕府の下級武士の家に生まれました。家督を継ぎながら絵師としての活動を始めた彼は、比較的常識人であり、几帳面な性格だったと推測されます。彼が旅先で記した日記(『天童広重』など)からは、絵の構想を練る真面目な姿や、美味しいものを食べたりお酒を楽しんだりする人間らしい一面が垣間見えます。広重の作品に常に漂う「人間味」や、雨に降られて慌てて走る人、茶屋で休む人々の生き生きとした描写は、彼自身が人々の生活や感情に深い関心と愛情を持っていた証拠でしょう。ここに、広重の優しい眼差しと、旅への情緒的な思いが感じられます。

辞世の句から読み解く死生観と最後の夢

辞世の句に見る死生観。死後も魂となって動き回る北斎の「動の精神」と、浄土へ静かに旅立つ広重の「静の精神」の対比。

私が個人的に最も「違い」を感じるのが、二人が亡くなる直前に残した「辞世の句」です。死を目前にした時、人はその本質を露わにすると言いますが、この二人の句は本当に対照的です。

葛飾北斎の辞世の句(享年90)

「人魂で 行く気散じや 夏の原」
(死んだら体から抜け出して人魂になって、夏の原っぱを気晴らしに散歩してやろう)

北斎の句は、死を「終わり」ではなく、肉体の制約から解放される「自由への入り口」として捉えています。「気散じ(気晴らし)」という言葉からは、死ぬことすらも彼にとっては新しい冒険であり、遊びであるかのような軽やかさを感じます。しかも、俳句で死のイメージとして定石である寂しい「枯野(冬)」ではなく、生命力がムンムンと湧き上がる「夏の原」を選んでいる点が凄まじいです。ここには、死後も現世の近くを飛び回り、まだ描き足りない世界を見続けたいという、尽きることのない「生」への執着とエネルギーが凝縮されています。

歌川広重の辞世の句(享年62)

「東路に 筆をのこして 旅の空 西のみくにの 名所を見む」
(江戸に絵筆を置いて、私は旅に出ます。西方浄土にあるという極楽の名所を見物しに)

対照的に広重の句は、非常に穏やかで、死を静かに受け入れています。「筆をのこして」という表現には、画家としての仕事を全うし、現世での役割を終えるという明確な「引退」の意識があります。そして彼の死後の目的地は、北斎のような野生の原っぱではなく、「西のみくに(西方極楽浄土)」です。彼は死を「最後の旅」と捉え、あの世でも名所観光を楽しもうというロマンチシズムを漂わせています。ここには、敬虔な祈りと、静謐な受容の精神が見て取れます。

死生観の違いまとめ
  • 北斎・・・死後も魂となって現世近くを飛び回る「動」の精神。永遠の現役。
  • 広重・・・現世に別れを告げ、浄土へ静かに旅立つ「静」の精神。安息の旅人。

海外の評価やオークションでの値段の差

現代のアート市場、特にお金の話になると、二人の間には明確な差が存在します。これは作品の優劣というよりは、市場における性質の違いと言えます。

北斎:世界的なアイコンとしての資産価値

トップエンドの市場、つまり「資産価値」として見ると、葛飾北斎が圧倒的に高額です。特に『神奈川沖浪裏』は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んで「世界で最も有名な画像」の一つとして認知されており、そのブランド力は絶大です。

具体的な数字を見てみましょう。2023年3月、ニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションにおいて、北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が276万ドル(当時のレートで約3億6000万円)で落札されました。これは予想価格を遥かに上回る金額であり、浮世絵版画としては歴史的な記録となりました。状態の良い初期の摺りは世界に数枚しかないとも言われており、その希少性が価格を押し上げています。

(出典:Christie’s “KATSUSHIKA HOKUSAI (1760-1849) Kanagawa oki nami ura (Under the well of the Great Wave off Kanagawa)”

広重:愛されるコレクションとしての価値

一方、歌川広重の作品も高額で取引されますが、北斎の『浪裏』のような数億円クラスの突出した価格になることは稀です。広重の代表作『東海道五十三次』などは、当時から爆発的な人気があり、大量に刷られたため、現存数が比較的多いのです。しかし、これは逆に言えば、広重の作品は「世界中の美術館や個人コレクターが所有できるチャンスがある」ということを意味します。欧米では、ゴッホが広重の『大はしあたけの夕立』を油絵で模写したことでも有名で、印象派への影響という点では北斎に負けない評価を得ています。

人気の理由と現代における楽しみ方

現代の評価と楽しみ方。数億円で取引される「資産価値」としての北斎と、数万円から入手可能で親しみやすい「コレクション」としての広重の比較。

最後に、私たちが今、彼らの作品をどう楽しむかという視点でまとめてみましょう。

国内のオークション市場や古書店などのデータを見ると、広重の作品(特に後摺りや復刻版を含む)は数千円から数万円で取引されているものも多く見受けられます。これは、広重が「庶民の画家」として、広く親しまれている証拠です。

つまり、「北斎は高嶺の花の資産」「広重は集めて楽しむコレクション」という楽しみ方の違いがあると言えます。

項目葛飾北斎歌川広重
市場の性質世界的な資産価値・投資対象としての側面が強い親しみやすいコレクション・インテリア対象
オークション最高額数億円クラス(『浪裏』など)数百万〜数千万円クラス(初摺りの名品)
流通量人気作の良質なものは極めて希少比較的多く、手に入れやすい(※作品による)
楽しみ方美術館で「本物」の迫力と構造美に圧倒される自宅に飾って「旅情」や「季節感」に癒やされる
注意点

価格は作品の状態(保存状態、虫食い、退色など)や刷られた時期(初摺りか後摺りか)によって桁違いに変動します。上記はあくまで一般的な傾向としての目安です。安価なものは、明治時代以降の復刻版である場合も多いので、購入の際は専門家の鑑定を確認しましょう。

まとめ:歌川広重と葛飾北斎の違いを知る

歌川広重と葛飾北斎の違いについて、画風から市場価値まで徹底的に見てきました。長くなりましたが、二人の違いを一言で言えば、彼らが世界を見る「レンズ」の違いに行き着きます。

幾何学的な構造美で世界を再構築し、驚きとダイナミズムを与え、死ぬまで「画狂」であり続けた北斎。そして、雨や雪の情趣を描き、旅人の心に寄り添い、共感と安らぎを与え続けた広重。どちらが良い悪いではなく、「驚き(北斎)」と「共感(広重)」という異なる感動を私たちに与えてくれます。

次に浮世絵を見る機会があったら、ぜひ「これは北斎的な構造かな?」「これは広重的な旅情かな?」と想像しながら鑑賞してみてください。単なる風景画だったものが、画家の魂が込められたメッセージとして、今までとは違った鮮やかさで見えてくるはずですよ。

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