こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。
鮮やかな色彩と力強い筆致で知られる炎の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。
そして、雨や雪といった情趣あふれる風景画で江戸の人々を魅了した浮世絵師、歌川広重。
一見すると時代も国も異なるこの二人の巨匠には、実は魂が共鳴するような深い繋がりがあったことをご存知でしょうか。ゴッホが広重の作品をどのように模写し、そこにどのような違いや独自の解釈を加えたのか、気になっている方も多いはずです。また、彼がパリで熱心に集めた浮世絵コレクションの実態や、絵の中に描かれた不思議な漢字の意味、そして画材屋タンギー爺さんの肖像画に見られる影響など、知れば知るほど面白いエピソードがたくさんあります。
- ゴッホが歌川広重の浮世絵から受けた具体的な影響と模写の特徴
- 南仏アルルへの移住と日本への憧れがどのようにリンクしていたか
- 作品に描き込まれた「漢字」の意外な真実と色彩表現の秘密
- 2025年以降の最新展覧会情報を含む二人の画家の現在地
ゴッホが心酔した歌川広重の影響と背景

19世紀のパリで、新しい芸術を模索していたゴッホにとって、日本から渡ってきた浮世絵は単なる異国の珍しい絵ではありませんでした。それは彼が探し求めていた「光」そのものであり、未来の芸術への道しるべだったのです。
ここでは、ゴッホがいかにして歌川広重をはじめとする浮世絵に魅了され、その熱量を自身の制作や生活に取り込んでいったのか、その背景を深掘りしていきます。
浮世絵コレクションに見る収集の情熱

ゴッホが弟のテオと共にパリで浮世絵を集め始めたのは1886年頃のこと。当時のパリではジャポニスムが流行していましたが、ゴッホの収集熱は群を抜いていました。彼は画商サミュエル・ビングの店の屋根裏部屋で、何千枚もの版画の中から自分の感性に響くものを夢中で選び出したといいます。
面白いのは、彼が選んだ基準です。ゴッホは必ずしも高価な「初期の傑作」や「保存状態の良い美品」を求めたわけではありませんでした。彼が重視したのは、「色彩の鮮やかさ」や「構図の面白さ」といった画像のインパクトそのもの。限られた予算の中で、比較的安価なものを大量に購入し、質よりも量を重視して手元に置こうとしたのです。
ゴッホとテオが購入した浮世絵の総数は約660点にものぼると言われています。当初は投資目的でカフェで展示即売会を開いたこともありましたが、結果的にはほとんど売れず、それが逆に彼の手元に大量の研究資料を残すことになりました。
日本の光を求めた南仏アルルへの移住

1888年2月、ゴッホはパリの都会生活と冬の厳しさに疲れ、南フランスのアルルへと旅立ちます。この移住の動機には、間違いなく「日本」への憧れがありました。
彼は浮世絵(特に歌川広重の風景画)を通じて、日本を「光に溢れ、色彩が輝く国」だと想像していました。そして、南仏の明るい陽光と澄んだ空気に、その理想郷としての日本のイメージを重ね合わせたのです。テオへの手紙の中で、彼はアルルの風景を「まるで日本版画のようだ」と表現し、水の色をエメラルドや青に例えて称賛しています。
アルルで制作された《花咲く果樹園》や《アルルの跳ね橋》といった名作には、広重の作品に見られるような明るい色彩と、自然と人間が調和した世界観が色濃く反映されています。彼にとってアルルは、「たどり着ける日本」だったのかもしれませんね。
タンギー爺さんの肖像と広重の富士

ゴッホのパリ時代を語る上で欠かせないのが、画材屋のジュリアン・タンギー(通称タンギー爺さん)です。貧しい画家たちに理解を示し、絵具を掛け売りしてくれた彼への感謝を込めて描かれた《タンギー爺さんの肖像》は、まさにジャポニスムの記念碑的な作品です。
この肖像画の最大の特徴は、背景が現実の室内ではなく、壁一面の浮世絵で埋め尽くされていることでしょう。よく見ると、そこには歌川広重の富士山を描いた作品や、渓斎英泉の花魁図がはっきりと模写されています。ゴッホは、まるで仏像のように正面を向いて座るタンギー爺さんを、浮世絵という「聖なる異界」の中に配置することで、彼を近代芸術の守護者として神聖化したかのようです。
ファン・ゴッホ美術館の浮世絵の所蔵作品データ

現在、アムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館には、ゴッホ兄弟が収集した浮世絵コレクションのうち、約500点(資料によっては511点とも)が現存しています。
これらのコレクションを調査すると、ゴッホがいかに浮世絵を「愛用」していたかが分かります。保存のために大切にしまい込むのではなく、アトリエの壁にピンで留めて常に眺めていたため、多くの作品にはピン跡や油絵具の跳ねが残っているそうです。コレクターとしては褒められた扱いではないかもしれませんが、画家としてはこれ以上ないほど作品と向き合い、そのエキスを吸収していた証拠と言えるでしょう。
| 項目 | データ概算 |
|---|---|
| 購入総数 | 約660点 |
| 現存数 | 約511点(ファン・ゴッホ美術館所蔵) |
| 主な作家 | 歌川広重、渓斎英泉、歌川国貞など |
| 収集時期 | 主に1886年〜1888年(パリ時代) |
最新の展覧会で見る二人の関係性

ゴッホと広重の関係は、今なお世界中で注目され続けています。特に注目したいのが、2025年から2026年にかけてロンドンの大英博物館で開催が予定されている展覧会「Hiroshige: Artist of the Open Road」です。
この展覧会では、広重の画業を振り返るとともに、ゴッホがいかにして広重の影響を受けたかについても焦点が当てられる予定です。ゴッホが模写した『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』のオリジナル版画と、ゴッホの視点を通した解釈がどのように展示されるのか、ファンとしては見逃せない機会になりそうですね。現地に行けない場合でも、図録やオンラインのレポートなどで最新の研究成果に触れることができるでしょう。
歌川広重を模写したゴッホの技法と違い
ゴッホは単に浮世絵を眺めるだけでなく、実際に油絵具を使って「模写」することで、その構図や色彩の秘密を解き明かそうとしました。しかし、それは単なるコピーではありません。版画という平らな媒体を油彩画に置き換える過程で、ゴッホ独自の強烈な個性が爆発しているのです。
ここでは、具体的な作品比較を通して、その違いや技法の面白さに迫ります。
浮世絵の模写に見る油彩画への変換

木版画である浮世絵は、基本的にフラットな色面とシャープな輪郭線で構成されています。一方、ゴッホの武器は「インパスト」と呼ばれる厚塗りの油彩技法です。彼は模写をする際、浮世絵の構図を借りながらも、その質感を油絵特有の盛り上がりや筆のタッチへと大胆に変換しました。
オリジナルにはない色彩の強弱をつけたり、空間を埋めるために独自の装飾を加えたりと、ゴッホの模写は「翻訳」というよりは「再創造」に近いエネルギーに満ちています。
亀戸梅屋舗の梅と補色による枠の追加

歌川広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』は、手前に大きく拡大された梅の枝を描き、その奥に小さく人物を配するという、極端な遠近法を用いた大胆な構図が特徴です。ゴッホはこの作品を《花咲く梅の木(広重作品模写)》として模写しました。

ゴッホ版の最大の特徴は、色彩の強度が劇的に高められている点です。オリジナルの空の色よりもはるかに強い「赤」を背景に用い、梅の花の白や茶色とのコントラストを強調しました。さらに、キャンバスのサイズに合わせて生じた左右の余白には、オレンジ色の太い枠を描き加えています。これは、彼が学んでいた色彩理論(補色関係)を実践したもので、画面全体の印象をより強烈なものにしています。
雨の大橋で表現した雨脚の筆触

もう一つの代表的な模写が、広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』を元にした《雨の大橋(広重作品模写)》です。広重は版木の彫りによって、鋭く直線の雨を表現しましたが、ゴッホはこれをどう処理したのでしょうか。

彼は、細い筆を使って様々な色(緑や青など)を重ねることで、雨の線を一本一本描き込みました。版画のすっきりとした直線とは異なり、ゴッホの雨には絵具の物質感と画家の息遣いが感じられます。また、水面の描写においても、版画の「ぼかし」技法を、不透明な絵具による複雑なタッチで置き換えており、雨に煙る景色の中に重厚な存在感を与えています。
模写作品に描かれた漢字の意味と意図

ゴッホの模写作品、特にフレーム(枠)の部分を見ると、漢字らしき文字がいくつも書かれていることに気づきます。実はこれ、日本人から見るとちょっと不思議な文字の羅列なんです。
例えば《花咲く梅の木》の左右の枠に書かれた文字は、『亀戸梅屋舗』に元々あったものではありません。ゴッホは、手元にあった別の浮世絵(吉原の遊郭に関する版画や芸者の住所録など)から、「形がカッコいい」「面白い」と思った文字を適当にピックアップして描き写したようです。「新吉原」などの文字が見られますが、文脈としての意味は通じません。
ゴッホにとって漢字は、意味を伝える言葉ではなく、画面にエキゾチックな雰囲気を与えるための魅力的な模様(テクスチャ)として機能していました。意味よりも視覚効果を優先した、彼らしいアーティスティックなアプローチと言えます。
歌川広重とゴッホが到達した色彩の境地

ゴッホは歌川広重の作品を通じて、西洋絵画の伝統的な影(黒や褐色)に頼らない、明るく鮮やかな色彩表現の可能性を確信しました。彼が目指したのは、見る人の心を慰め、希望を与えるような「色彩による救済」でした。
広重が描いた日本の自然と、ゴッホが南仏で見出した光。二人の画家は直接言葉を交わすことはありませんでしたが、作品を通じて深い対話を行っていました。ゴッホの模写は、単なる勉強の跡ではなく、東洋の美を西洋の油彩画へと融合させようとした、情熱的で美しい挑戦の記録なのです。今度ゴッホの絵を見るときは、その鮮やかな黄や青の中に、彼が追い求めた「広重の影」を探してみてはいかがでしょうか。
