歌川広重の妻かよは実在しない?ドラマの感動と史実の真実を解説

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「歌川広重の妻『加代』は実在しない?」というタイトルテキストが表示された、記事の導入スライド画像。

こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。

NHKのドラマ『広重ぶるう』を見て、主人公の歌川広重を支え続けた妻、加代(かよ)の献身的な姿に涙した方は多いのではないでしょうか。

私もその一人で、ドラマを見終わった後に、ふと気になって検索してしまいました。あんなに素敵な奥さんが本当にいたのなら、どんな人生を送ったのか詳しく知りたいですよね。

広重の妻である加代は実在したのか、それともお安という別の女性だったのか、そして二人の死因は何だったのか。気になって夜も眠れないという方のために、今回はドラマの感動と史実の記録を照らし合わせながら、広重の家族の真実について詳しく調べてみました。

この記事で分かること
  • ドラマに登場する妻「加代」が実在しない架空の人物である理由
  • 史実における広重の二人の妻(最初の妻と後妻・お安)の生涯
  • 広重作品の代名詞「ベロ藍」と妻たちの関わりについての真相
  • 歌川広重とお安を襲った衝撃的な死因と家族の結末

まずは、多くの人が一番気になっているであろう「加代という女性は本当にいたのか?」という点から、ドラマと史実の違いを整理していきましょう。

目次

歌川広重の妻かよは実在するのか検証

歌川広重の妻かよは実在するのか検証

ドラマの中であれほど生き生きと描かれていた加代さんですが、歴史の記録を紐解いていくと、少し違った事実が見えてきます。ここでは、フィクションとしての「加代」と、歴史上の「広重の妻」について検証していきます。

ドラマの加代は実在しない架空の人物

ドラマの加代は実在しない架空の人物

結論から言ってしまうと、「加代(かよ)」という名前の妻は、史実には存在しません。

これはドラマの原作である梶よう子さんの小説『広重ぶるう』や、ドラマ化の際に創作されたキャラクター名のようです。歴史資料に残っている歌川広重の妻に関する記録と照らし合わせても、「加代」という名前は見当たらないのです。

ただ、実在しないからといって、あのような献身的な女性がいなかったわけではありません。後ほど詳しくお話ししますが、加代というキャラクターは、実在した「二人の妻」のエピソードを一人に集約して作られた可能性が高いのです。

ここがポイント

「加代」はドラマや小説のために作られた名前であり、特定のモデルはいるものの、そのままの人物が歴史上にいたわけではありません。

広重ぶるうで描かれた献身的な夫婦愛

櫛と小銭のイラストと共に、貧乏な火消同心時代に妻が内職で画材代を捻出したことを説明するスライド。

ドラマ『広重ぶるう』での加代さんは、本当に魅力的でしたよね。広重がまだ無名の火消同心だった頃から、家計をやりくりして画材代を捻出し、精神的にも夫を支え続けました。

特に印象的だったのは、彼女が広重の才能を誰よりも信じていたこと。夫が自信を失いかけても、「あなたの絵は素晴らしい」と背中を押し続ける姿は、まさに理想のパートナー像として描かれていました。ドラマを見て「広重の妻、かよ」と検索したくなる気持ち、痛いほどわかります。

この物語における加代は、単なる「内助の功」を超えて、広重と一緒に芸術作品を作り上げた「戦友」のような存在として描かれています。だからこそ、その死が描かれた時の喪失感は大きく、視聴者の心に深く刻まれたのでしょう。

史実における広重の妻たちの記録

では、実際の広重にはどんな奥さんがいたのでしょうか。史実を調べてみると、広重は生涯で二度結婚していることがわかります。

妻の順序名前時期備考
最初の妻不詳(岡部氏娘)文政4年(1821)~天保10年(1839)同じ火消同心の家柄。広重の下積み時代を支える。
二番目の妻お安(やす)天保12年(1841)頃~安政5年(1858)晩年の広重を支え、最期を共にした。

このように、歴史上には「最初の妻」と「後妻のお安」という二人の女性が存在しました。ドラマの加代さんは、この二人の人生をミックスして、一人の女性の物語として再構築されたキャラクターだと言えそうです。

名前不詳である最初の妻の功績

名前不詳である最初の妻の功績

最初の奥さんについては、残念ながら名前がはっきりとわかっていません。

彼女は、広重と同じく幕府の定火消同心を務める岡部弥左衛門の娘でした。つまり、職場結婚のような形ですね。広重がまだ絵師として一本立ちする前、公務と絵の制作の二足の草鞋を履いていた一番大変な時期を支えたのが彼女です。

あの有名な『東海道五十三次』が大ヒットして広重が人気絵師になったのが天保4年頃ですから、彼女はその成功を見届けてから、天保10年に亡くなっています。ドラマの前半部分、貧乏しながらも夢を追う広重を支えた加代の姿は、間違いなくこの「名もなき最初の妻」がモデルになっているはずです。

豆知識:同心って大変?

当時の同心は下級役人で、給料も安かったそうです。武士のメンツを保ちながら、内職として絵を描く夫を支えるのは、並大抵の苦労ではなかったと思います。

ドラマの設定と歴史的事実の比較

最初の妻の「献身」と後妻・お安の「愛」を足し合わせると、ドラマの「加代」になることを示した図解イラスト。

ここで、ドラマの設定と史実の違いをわかりやすく整理してみましょう。

  • ドラマ:妻は「加代」一人だけ。彼女が亡くなった後に『名所江戸百景』を描く。
  • 史実:妻は二人。最初の妻が亡くなった後にお安と再婚し、お安と共に『名所江戸百景』の時代を生きる。

決定的な違いは、「安政の大地震」や晩年の傑作『名所江戸百景』の制作時に、妻が生きていたかどうかです。ドラマでは妻の死をきっかけに鎮魂の旅に出るような描かれ方でしたが、史実では後妻のお安さんがしっかりと広重の傍にいて、一緒に震災後の江戸を生きていたんですね。

さて、ここからはその「後妻・お安」さんにスポットを当てて、さらに深い真実に迫っていきましょう。

歌川広重の妻かよのモデルと真実

前の章では、ドラマの加代が架空の存在であることをお話ししました。ここからは、加代のモデルのもう一人であり、広重の人生の後半を支えた実在の女性「お安」について、そしてドラマでも重要なテーマだった「広重ブルー」との関わりについて深掘りしていきます。

晩年を支えた後妻お安の人物像

晩年を支えた後妻お安の人物像

最初の妻を亡くしてから約2年後、広重が45歳くらいの時に再婚したのが「お安(やす)」さんです。

彼女は広重よりも20歳近く年下だったと言われています。資料によると、とても気立ての良い女性で、広重の弟子たちからも慕われていたそうです。ドラマでは「お安」という名前の飯炊き女が登場していましたが、史実では彼女こそが正妻として、晩年の広重家を切り盛りしていました。

彼女が生きたのは、出版規制が厳しくなったり、大地震が起きたりと、江戸が激動の時代を迎えた頃です。そんな困難な状況の中で、広重があの穏やかで美しい風景画を描き続けられたのは、お安さんの明るさや支えがあったからこそなのかもしれません。

ベロ藍とヒロシゲブルー誕生の秘密

「ベロ藍(ヒロシゲブルー)の真実」として、妻の提案ではなく当時の流行であったことを解説するテキストスライド。

ドラマでは、加代が広重に「ベロ藍(プルシアンブルー)」という輸入顔料を使うように勧めるシーンがとても印象的でした。「この青で、あなたの見ている世界を描いて」というようなセリフにグッときた方も多いはず。

史実において、妻がベロ藍の使用を提案したという記録はありません。当時の浮世絵界では、ベロ藍はすでに葛飾北斎などが使い始めていた流行の画材でした。広重も版元や流行の影響を受けて採用したと考えるのが自然でしょう。

夫婦を襲ったコレラという死因

消えゆく二本の蝋燭のイラストと共に、妻・お安が広重の死からわずか1ヶ月後に後を追うように死去したことを伝えるスライド。

広重とお安の物語で、最も衝撃的で、かつ深い愛情を感じさせるのが二人の最期です。

安政5年(1858)、日本には海外から持ち込まれた「コレラ」が大流行していました。多くの江戸庶民が命を落とす中、広重もまた、9月6日に62歳でこの世を去ります。死因はコレラだったと言われています。

そして驚くべきことに、妻のお安もまた、広重が亡くなったわずか1ヶ月後の10月に亡くなっているのです。

おそらく、夫の看病をしていて感染したのか、あるいは同じ生活環境で共に病に倒れたのでしょう。ドラマでは描かれなかった史実ですが、死してなお離れがたい二人の絆を感じずにはいられません。

養女お辰と二代目を巡る家族関係

養女お辰と二代目を巡る家族関係

広重には実子がいなかったため、養女として「お辰(おたつ)」という娘を育てていました。このお辰さんの人生もまた波乱万丈です。

広重は、自分の才能ある弟子(後の二代広重)をお辰の婿養子に迎え、跡取りとしました。しかし、この夫婦仲はうまくいかず、後に離婚してしまいます。一説には、偉大すぎる初代広重のプレッシャーがあったとも、お辰さんが別の弟子(後の三代広重)に惹かれてしまったとも言われています。

芸術家の家ならではの複雑な人間模様ですが、広重が亡くなった後も、残された家族たちは懸命に「歌川広重」という看板を守ろうとしたのですね。

歌川広重の妻かよから知る史実の愛

「史実を知れば、作品はもっと深く美しくなる」というメッセージが記された、記事の締めくくりとなるスライド画像。

「歌川広重 妻 かよ」と検索してたどり着いた真実は、ドラマ以上にドラマチックなものでした。

ドラマの「加代」は架空の存在でしたが、そこには確かに実在した「最初の妻」の献身と、「後妻・お安」の深い愛情が込められていました。フィクションを通じて私たちが感動したのは、作り話に対してだけではなく、厳しい時代を絵筆一本で生き抜いた広重と、それを支え続けた名もなき女性たちの「夫婦の絆」そのものだったのかもしれません。

これから広重の浮世絵を見る時は、その鮮やかなブルーの向こう側に、彼を支えた二人の妻の姿を思い浮かべてみてください。きっと今までとは違った深みを感じられるはずですよ。

※本記事は歴史的な記録や諸説を参考に執筆していますが、詳細な事実関係については研究者によって見解が異なる場合があります。

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