クロード・モネの代表作として知られる「日傘をさす女」に、実は3枚のバリエーションが存在することをご存知でしょうか。
多くの人が思い浮かべる最初の作品、「散歩、日傘をさす女」の解説から始め、そのモデルが妻カミーユであった幸福な時代に触れます。しかし、その後に描かれた左向きと右向きの2枚の作品には、ある切ない物語が隠されています。
この記事では、それぞれの作品の特徴、特にモデルの顔の描かれ方の違いや、光を捉える卓越した技法に注目し、作品の尽きない魅力に迫ります。さらに、これら3枚の傑作が現在どこにあるのか、過去に日本で来日した際の逸話なども交え、多角的に解き明かしていきます。
- 3枚の「日傘をさす女」が描かれたそれぞれの背景と物語
- 最初の妻カミーユと義理の娘シュザンヌ、モデルの違い
- 作品ごとの構図や光の表現など印象派ならではの技法
- 各作品を鑑賞できる美術館と日本での公開情報
モネ「日傘をさす女」3枚の背景と1作目を解説
- 1作目「散歩、日傘をさす女」の解説
- 妻カミーユをモデルに幸せな日々を描く
- 印象派らしい散歩、日傘をさす女の技法
- 最愛の妻カミーユはなぜ死んだのか
1作目「散歩、日傘をさす女」の解説

モネの数ある作品の中でも、特に人気の高い「散歩、日傘をさす女」は、1875年に制作された油彩画です。これは、モネが34歳の時に描いたもので、画家としての情熱と創作意欲に満ちていた時期の傑作として知られています。
この作品は、単なる肖像画ではなく、家族との何気ない日常の一瞬を切り取った風俗画として描かれました。描かれているのは、夏の日の散歩の途中で、丘の上に立つ一人の女性と少年です。強い日差しと爽やかな風が画面全体から感じられ、観る者を絵画の世界へと引き込みます。
従来の形式的な肖像画とは一線を画し、人物を風景の一部として溶け込ませるように描く手法は、印象派の旗手であったモネの真骨頂と言えます。この作品は1876年に開催された第2回印象派展に出品され、モネの代表作の一つとして高く評価されることになりました。
妻カミーユをモデルに幸せな日々を描く
「散歩、日傘をさす女」に描かれている女性と少年は、モネの最初の妻であったカミーユ・ドンシューと、当時5歳だった長男のジャンです。この絵は、散歩の道中で先を行く二人をモネが後ろから呼び止め、彼らが振り返った瞬間を捉えたものとされています。
この作品が描かれた1870年代、モネ一家はパリ郊外のアルジャントゥイユで暮らしていました。画家としての評価はまだ確立されておらず、経済的には厳しい生活を強いられていましたが、最愛の妻と息子と共に過ごす日々は、彼にとってかけがえのない幸福な時間でした。
カミーユの白いドレスが風にはためき、彼女が持つ日傘が柔らかな影を落とす様子は、穏やかで幸せに満ちた家庭生活を象徴しているかのようです。この作品が放つ明るく希望に満ちた雰囲気は、モネ自身の充実した精神状態を色濃く反映していると考えられます。
印象派らしい「散歩、日傘をさす女」の技法
この作品には、モネが追求した印象派の絵画技法が集約されています。彼はアトリエに籠って制作するのではなく、戸外で直接キャンバスに向かう「プレナール(戸外制作)」を重視しました。これにより、刻一刻と変化する自然光の効果を捉えることが可能になったのです。
画面全体は、軽やかで素早い筆致(タッチ)によって描き出されています。例えば、カミーユのドレスや足元の草花は、輪郭線を明確に描くのではなく、色彩を重ねることで表現されています。これにより、風の動きや草花の揺らめきといった、目に見えないものまで感じさせます。
また、光の表現も巧みです。日傘の緑色がカミーユの顔や肩に反射し、影の部分にも周囲の色が溶け込んでいるのが分かります。単に黒で影を描くのではなく、反射光や環境色を用いて色彩豊かに表現する点は、まさに光の画家モネならではの卓越した技法です。
最愛の妻カミーユはなぜ死んだのか
「散歩、日傘をさす女」に描かれた幸福な時間は、残念ながら長くは続きませんでした。この作品が描かれた翌年の1876年、妻カミーユが結核を患ってしまいます。
さらに1878年に次男ミシェルを出産しますが、この時の負担が彼女の体をさらに弱らせ、子宮がんも併発してしまいました。モネは懸命に看病を続けましたが、カミーユの病状は悪化の一途をたどります。そして1879年9月5日、カミーユは32歳という若さでこの世を去りました。
モネの悲しみは計り知れず、彼は息を引き取った妻の姿を「カミーユ・モネの死の床」という作品に描いています。最愛の人を失ったこの出来事は、モネの人生と芸術に深い影を落とし、その後の作品にも大きな影響を与えることになりました。

モネの「日傘をさす女」3枚の残り2枚と鑑賞情報
- 追憶の作品、日傘の女(左向き)
- 双子のような作品、日傘の女(右向き)
- 2・3作目の特徴 顔が描かれない理由
- 背景を知ると増す構図と色彩の魅力
- 日傘をさす女はどこにある?所蔵美術館
- 日傘をさす女 日本への来日情報
追憶の作品、日傘の女(左向き)

カミーユの死から約10年の歳月が流れた1886年、モネは45歳の時に再び「日傘をさす女」というテーマに取り組みます。この年に制作された2枚の作品のうちの1枚が、「日傘の女(左向き)」として知られるものです。
この作品のモデルを務めたのは、カミーユではありません。モネが後に再婚することになるアリス・オシュデの娘、シュザンヌ・オシュデです。しかし、多くの研究者は、モネがシュザンヌの姿を通して、亡き妻カミーユの面影を追っていたと考えています。
1作目の明るい雰囲気とは対照的に、どこか切なさや哀愁が漂う作品です。シュザンヌの顔ははっきりと描かれず、表情を読み取ることはできません。これは、特定の個人を描くことよりも、過去の記憶や感情といった内面的なものを表現しようとしたためかもしれません。
双子のような作品、日傘の女(右向き)

「日傘の女(左向き)」とほぼ同時期に、同じく1886年に制作されたのが「日傘の女(右向き)」です。構図やモデル、そして全体の雰囲気も非常によく似ており、対をなす作品として知られています。
こちらもモデルはシュザンヌ・オシュデですが、人物は画面の右側に配置され、左向きの作品とは逆の方向を向いています。筆致はより素早く大胆になり、人物の姿は風景の中にさらに溶け込んでいるように見えます。
モネは、カミーユをモデルにした最初の作品を幸福な記憶の象徴として大切にしていた一方で、これらの2枚の作品は生涯手元に置いて手放さなかったと言われています。それは、亡き妻への断ち切れない想いと、過ぎ去った時間への追憶を形にした、彼にとって極めて個人的な作品だったからなのかもしれません。
2・3作目の特徴 顔が描かれない理由
1886年に描かれた2枚の「日傘をさす女」に共通する最大の特徴は、モデルの顔がはっきりと描かれていない点です。これにはいくつかの説が考えられており、モネの真意をめぐって様々な解釈がなされています。
一つは、亡き妻カミーユの面影が心に浮かび、別の人物であるシュザンヌの顔を明確に描くことができなかったのではないか、というロマンチックな解釈です。
また、別の説としては、モネの関心が人物の肖像そのものよりも、逆光の中に立つ人物と周囲の風景が織りなす光の効果にあった、というものが挙げられます。強い光を背に受けているため、顔が影になって見えない状態を写実的に捉えようとした結果、表情が省略されたという考え方です。
さらに、この時期のモネは人物画から風景画へと創作の中心を移していました。そのため、人物を特定の個人としてではなく、あくまで風景を構成する一つの要素として捉えていた、という可能性も指摘されています。
背景を知ると増す構図と色彩の魅力
「日傘をさす女」の3枚の作品は、それぞれが独立した傑作であると同時に、背景にある物語を知ることで、その魅力がさらに深まります。
最初の作品に満ちあふれているのは、家族と過ごす幸せな日常の輝きです。構図は安定し、色彩は明るく、見る者に穏やかな幸福感を与えます。
一方、約10年後に描かれた2枚の作品には、愛する人を失った画家の切ない追憶が込められています。人物の顔は描かれず、筆致はより感情的になり、幸福な過去への憧憬と、取り戻せない時間への哀しみが入り混じった複雑な感情が表現されています。
この3枚の連作を通して、モネの人生における愛と喪失の物語を垣間見ることができます。そして興味深いことに、モネはこれらの作品を最後に、人物を主題とした絵画をほとんど描かなくなりました。この事実は、彼にとって「日傘をさす女」というテーマがいかに特別な意味を持っていたかを物語っています。
日傘をさす女はどこにある?所蔵美術館
3枚の「日傘をさす女」は、現在、それぞれ異なる国の美術館に所蔵されています。いずれも世界的に有名な美術館であり、各館を代表する所蔵品の一つとして大切に展示されています。
作品名 | 制作年 | 所蔵美術館 | 国 |
散歩、日傘をさす女 | 1875年 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー | アメリカ |
日傘の女(左向き) | 1886年 | オルセー美術館 | フランス |
日傘の女(右向き) | 1886年 | オルセー美術館 | フランス |
最初の妻カミーユがモデルの作品は、アメリカの首都ワシントンD.C.にあるワシントン・ナショナル・ギャラリーで鑑賞できます。
そして、その後に描かれたシュザンヌがモデルの2枚は、フランスのパリにあるオルセー美術館に所蔵されています。オルセー美術館は印象派のコレクションで世界的に有名であり、この2枚を並べて鑑賞できる貴重な場所です。
「散歩、日傘をさす女」の日本への来日情報
これらの傑作は、過去に日本で公開されたことがありますが、3枚すべてが揃って来日したことはありません。しかし、近い将来、そのうちの2枚を日本で鑑賞できる貴重な機会が予定されています。
2026年2月7日から5月24日まで、東京のアーティゾン美術館にて「クロード・モネ -風景への問いかけ」展が開催されることが決定しました。この展覧会はモネの没後100年を記念するもので、オルセー美術館が所蔵する「日傘の女(左向き)」と「日傘の女(右向き)」の2点が来日する予定です。

1886年に描かれた2枚の作品を、日本国内で同時に鑑賞できるまたとない機会となります。当初は2020年、次に2021年に予定されながらも延期となっていた待望の展覧会であり、多くの美術ファンからの注目が集まっています。
まとめ:モネの「日傘をさす女」3枚の物語の解説
この記事で解説した、モネの「日傘をさす女」に関する要点を最後にまとめます。
- モネの日傘をさす女と題される作品は全部で3枚存在する
- 1作目は1875年制作の「散歩、日傘をさす女」
- 1作目のモデルはモネの最初の妻カミーユと長男ジャン
- 家族との幸福な日常を描いた、明るい雰囲気の作品
- 戸外制作による光と動きの表現に印象派の技法が見られる
- 妻カミーユは1879年に32歳の若さで病死した
- 残りの2枚はカミーユの死後、1886年に制作された
- モデルはモネの後妻の娘であるシュザンヌ・オシュデ
- 1886年版は「左向き」と「右向き」の2種類が存在する
- 1886年版ではモデルの顔がはっきりと描かれていない
- 顔が描かれなかったのは、亡き妻への追憶や光の効果など諸説ある
- 3枚を通して、モネの愛と喪失の物語が読み取れる
- 1作目はアメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵
- 2・3作目はフランスのオルセー美術館が所蔵
- 2026年にオルセー美術館所蔵の2点が日本で公開予定