こんにちは。アートの地図帳、運営者の「さとまる」です。
サルバドール・ダリの代表作である『記憶の固執』。誰もが一度は目にしたことがある、あの印象的な「溶けた時計」の絵画ですよね。
しかし、いざ「この作品が何を伝えたいのか?」と問われると、言葉に詰まってしまう方も多いのではないでしょうか。なぜ時計は溶けているのか、中央にいる奇妙な生き物は何なのか、そしてタイトルである『記憶の固執』とは何を意味するのか…。
一見すると非常に難解で、奇妙なイメージの羅列に見えるかもしれません。ですが、この作品にはダリ自身の個人的な経験やコンプレックス、そして「シュルレアリスム」という芸術運動の思想が深く関わっています。
この記事では、「サルバドール・ダリ 記憶の固執 伝えたいこと」をテーマに検索されているあなたのために、描かれているモチーフ一つひとつの意味を分かりやすく解説し、ダリが作品に込めたメッセージを紐解いていきます。
- 『記憶の固執』に描かれた各モチーフの具体的な意味
- ダリがこの作品を通して伝えたかった主要なテーマ
- シュルレアリスムや時代背景との関連性
- 続編『記憶の固執の崩壊』との違いと変化
サルバドール・ダリ『記憶の固執』が伝えたいこと
ダリの『記憶の固執』は、発表当時から現在に至るまで、見る人に強烈な違和感と尽きない好奇心を抱かせ続けています。この章では、作品に描かれた具体的なモチーフ一つひとつに焦点を当て、ダリが何を伝えたいと考えていたのか、その核心に迫ります。
一見、奇妙で不気味にさえ見えるこの絵画には、ダリの深い内面世界と、時代背景が複雑に絡み合っています。実は、あの有名な「溶けた時計」以外にも、見逃せない重要なメッセージが絵の隅々にまで隠されているのです。
作品概要:MoMA所蔵のA4サイズ
この作品について語るとき、まず驚かされるのは、その実際のサイズです。教科書やポスター、インターネットの画像などで日常的に目にするため、私たちは無意識のうちに巨大な壁画のような作品を想像しがちです。
しかし、実物は縦24.1cm × 横33.0cmしかありません。これは、一般的なA4ノート(21.0 × 29.7 cm)とほぼ同程度か、一回り大きいくらいの大きさです。
この小さなキャンバスの中に、あれほどの広大で深淵な世界が、まるで写真のように(ダリの言葉を借りれば「手描きの夢の写真」として)緻密に描かれていることに、ダリの並外れた技術と執念を感じずにはいられません。
現在はニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されており、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』などと並び、20世紀の近代美術を象徴する最重要作品の一つとして常設展示されています。(出典:ニューヨーク近代美術館(MoMA)公式サイト)
| 作品名 | 記憶の固執 (The Persistence of Memory) |
|---|---|
| 作者 | サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) |
| 制作年 | 1931年 |
| 技法/素材 | 油彩、キャンバス |
| 所蔵 | ニューヨーク近代美術館 (MoMA) |
| サイズ | 24.1 cm × 33.0 cm |
柔らかい時計の意味とチーズの逸話
この作品の代名詞とも言えるのが、ぐにゃりと曲がり、枝や台座、謎の生物の上に垂れ下がった3つの「柔らかい時計」です。これは、私たちが普段当たり前だと思っている「時間」の概念を根底から覆す、非常に強力な象徴です。
客観的な時間 vs 主観的な時間
私たちが日常で使う時計は、硬い金属やプラスチックでできており、常に一定のリズムで「カチ、カチ」と時を刻みます。これは「客観的な時間」であり、誰にとっても平等に進むものです。
しかし、ダリが描いたのは、まるで熱で溶けたかのように柔らかく、形を失った時計です。これは、私たちが心の中で感じる「主観的な時間(心理的な時間)」を表現していると言われています。
例えば、大好きな人と過ごす時間はあっという間に過ぎ去り、退屈な会議や歯医者の待合室での時間は永遠のように長く感じることがありますよね。ダリは、物理的な時計が示す時間ではなく、このように人間の感覚や記憶によって伸び縮みする、流動的な時間こそが真実の時間なのだ、と主張しているかのようです。
カマンベールチーズから着想?
この「柔らかい時計」のアイデアについて、ダリ自身が有名な逸話を残しています。
ある晩、ダリは極度の頭痛に悩まされながらアトリエにいました。その日の夕食に出た、非常に柔らかく溶けかけたカマンベールチーズのことをぼんやりと考えていたところ、その「柔らかさ」のイメージが頭から離れなくなったそうです。
そして、制作中だった故郷の風景画(現在の『記憶の固執』の背景部分)に、幻覚のように「柔らかい時計」を描き加えたと、自伝で語っています。これは単なる思いつきではなく、ダリが実践していた、幻覚や妄想を意図的に呼び起こして作品化する「偏執狂的批判的方法」とも深く関連していると考えられます。
固い時計とアリが象徴するもの
画面の左下に目を移すと、一つだけ「溶けていない時計」が裏返しに置かれているのがわかります。これはオレンジ色の懐中時計です。しかし、よく見るとその蓋の上には無数の「アリ」が群がっています。
ダリにとって、アリは特別な意味を持つモチーフでした。彼は幼少期に、死んだ昆虫や小動物にアリが群がる様子を見て強烈なトラウマを抱いたとされています。以来、ダリの作品においてアリは一貫して「腐敗」「死」「性的な欲望と恐怖」といった強迫観念の象徴として繰り返し登場します。
つまり、この絵の中で唯一「硬い」ままの時計(=客観的で機械的な時間)は、もはや機能することなく、アリに食い荒らされ、死んで腐敗しつつあることを暗示しているのです。「柔らかい」主観的な時間が支配するこの夢の世界では、客観的な時間は無意味な残骸でしかないのかもしれません。
ちなみに、中央の柔らかい時計には「ハエ」も一匹止まっています。ハエもまた、アリと同様にダリにとっては腐敗や死を連想させる不吉なモチーフでした。
中央の謎の物体はダリの自画像
画面の中央、地面に横たわる、まつ毛の生えた奇妙な白い物体。これは何かの生き物なのか、それともオブジェなのか、非常に謎めいています。この不気味なモチーフこそ、ダリ自身の横顔が変形した「自画像」だと広く解釈されています。
長く伸びたまつ毛、閉じたまぶた、特徴的な鼻の形は、ダリの他の作品(例えば『大自慰者』など)にも繰り返し登場する、彼自身の内面世界を象徴する重要なモチーフです。
この「怪物」のようにも見える自分自身は、ぐったりと眠り(あるいは死んだように)横たわり、非常に無防備で脆い存在として描かれています。その上に柔らかい時計が乗せられているのは、彼が夢や無意識の(=時間の歪んだ)世界に完全に浸っていることを示しているようです。
「柔らかさ」と「硬さ」の対比
この作品では、「柔らかいもの(時計、自画像)」と「硬いもの(背景の岩、懐中時計)」が意図的に対比されています。一部の分析では、この対比がダリの抱えていた内面的な葛藤、特に性的な不安(不能への恐怖)を反映しているとも指摘されています。
背景は故郷ポルト・リガトの風景

これら非現実的なモチーフが配置されている舞台は、どこまでも静かで荒涼とした海岸線の風景です。この場所は、ダリが愛した故郷、スペイン・カタルーニャ地方の「ポルト・リガト」や「クレウス岬」の風景がモデルになっています。
ゴツゴツとした硬い岩肌、青く澄んだ海、そしてどこまでも続く水平線。ダリにとって、この故郷の風景は、唯一変わることのない「現実」の土台でした。
この「硬く、永遠に変わらない現実の風景」をあえて背景に設定することで、その上で展開される「柔らかく、すぐに変化してしまう非現実(夢や記憶、時計)」が、より一層際立つという効果を生み出しています。これぞシュルレアリスムの真骨頂と言えるでしょう。
枯れたオリーブの木が暗示する死

最後に見逃せないのが、左側の四角い人工的な台座から生えている一本の木です。その枝ぶりから、これはオリーブの木であることがわかります。
古代より地中海世界において、オリーブは「平和」「豊穣」「知恵」の象徴とされてきました。しかし、ここで描かれているオリーブは、枝は無残に折られ、葉は一枚もありません。完全に枯れ果てています。
平和の象徴が、人工的な台座の上で死んでいる。これは、この作品全体を覆う「静止した時間」「生命の終わり」「古い価値観の死」を決定づける、非常に重要なモチーフとなっています。全てが停止し、腐敗だけが静かに進行していくかのような、不気味な静寂を感じさせます。
サルバドール・ダリ『記憶の固執』で伝えたいことの背景
作品に込められた個々のモチーフの意味が、だんだん見えてきたかと思います。この章では、もう少し視野を広げてみましょう。なぜダリはこのような奇妙な世界を描くに至ったのか?
そこには、彼が生きた時代の芸術運動や、当時の最先端だった科学・心理学の発見が大きく影響しています。『記憶の固執』が伝えたいことの背景にある、時代の空気を感じ取ってみましょう。
シュルレアリスムと無意識の世界
サルバドール・ダリは、「シュルレアリスム(超現実主義)」を代表する画家として知られています。これは1920年代にフランスのアンドレ・ブルトンらによって提唱された芸術運動です。
シュルレアリスムの基本的な考え方は、理性が支配する「現実」よりも、夢や無意識、幻覚、非合理な世界にこそ、人間の「超現実(=より高次の真実)」が隠されている、というものです。彼らは、フロイトの精神分析学に大きな影響を受けました。
『記憶の固執』は、まさにダリの夢の中の光景や、無意識下に抑圧されたイメージを、写真のように精密に描き出したものです。
偏執狂的批判的方法とは
ダリは、この「無意識の世界」を描き出すために、彼が「偏執狂的批判的方法(Paranoiac-critical method)」と呼ぶ独自の制作手法を編み出しました。
これは、簡単に言えば「意図的に狂気の状態(偏執狂)になり、そのときに見える幻覚や妄想を、狂気に陥っていない画家としての冷静な視点(批判的)で客観的に描き出す」というものです。合理的な思考を意図的に排除し、自らの無意識が映し出すイメージを、精密な技術でキャンバスに定着させようとしました。『記憶の固執』は、この方法論の最も成功した例の一つと言えます。
時間の相対性とフロイトの影響
『記憶の固執』が制作された1931年は、科学や思想が大きく動いた時代でした。
まず、前述の通り、ジークムント・フロイトの精神分析学、特に「夢判断」が知識人たちの間で広く読まれていました。抑圧された欲望や過去のトラウマが、歪んだ形で夢の中に現れるというフロイトの理論は、ダリが自らの内面(特に性的なコンプレックスや死への恐怖)を作品に投影する際の、強力な理論的な支えとなりました。
また、アルベルト・アインシュタインの「相対性理論」(一般相対性理論は1915-16年)によって、「時間は絶対的なものではなく、観測者の状況によって伸び縮みする相対的なものである」という新しい時間観が世界に提示されました。
ダリ自身が相対性理論について直接言及したわけではありませんが(彼はあくまでカマンベールチーズから着想したと主張しています)、「時間は絶対的ではない」という時代の空気が、ダリの「柔らかい時計」という革新的なイメージを生み出す土壌になった可能性は非常に高いと考えられます。
続編『記憶の固執の崩壊』との違い
実はダリは、この作品の「続編」とも言える作品を、約20年後の1952年から1954年にかけて描いています。それが『記憶の固執の崩壊』です。
この続編は、オリジナルの構図やモチーフ(柔らかい時計、故郷の風景)を踏襲しつつも、全く異なる世界観を描いています。最大の違いは、すべてのモチーフが原子レベルで分解され、空中に浮遊している点です。
この変化の背景には、強烈な時代の出来事がありました。
『固執』から『崩壊』への変化
第二次世界大戦と、広島・長崎への原子爆弾の投下は、ダリに計り知れない衝撃を与えました。彼は、目に見えない「原子」の力が世界を一瞬で破壊し、再構成しうるという事実に戦慄します。
その結果、ダリの関心は、これまでのフロイト的な「心理学・無意識」から、最先端の「原子物理学」や「核神秘主義」へと急速に移っていきました。
- 記憶の固執(1931年)
テーマ:フロイトの心理学、夢と無意識、内面的な世界、時間の相対性。
- 記憶の固執の崩壊(1954年)
テーマ:原子物理学、核の脅威、世界の構造、原子レベルでの分解と再構築。
『崩壊』では、時計も風景も、すべてがミクロな粒子(原子)に分解され、互いに触れ合うことなく浮遊しています。これは、ダリが新たな時代のリアリティ(=世界は目に見えない粒子の集合体である)を芸術的に表現しようとした試みであり、彼の関心が内面から外面の構造へとシフトしたことを示しています。
5分で分かる描かれているもの解説
ここまで解説してきた内容が少し複雑に感じられた方のために、『記憶の固執』(1931年版)に描かれた主要なモチーフの意味を、もう一度簡潔にまとめます。
- 柔らかい時計 (3つ)
意味:主観的な時間(心理的な時間)。伸び縮みする感覚的な時間。カマンベールチーズのような柔らかさ。
- 固い時計とアリ (1つ)
意味:客観的な時間(機械的な時間)の「死」。アリはダリにとって腐敗・死・恐怖の象徴。
- 中央の白い物体
意味:ダリ自身の変形した自画像(横顔)。夢や無意識の中に横たわる、脆く無防備な自己。
- 背景の風景
意味:ダリの故郷ポルト・リガトの現実の風景。「硬い現実」と「柔らかい非現実」の対比。
- 枯れたオリーブの木
意味:「平和の死」や「古い価値観の終わり」。作品全体の静止した死の雰囲気を強調。
この作品は、一見すると難解ですが、このように各モチーフがダリ個人の体験や思想と強く結びついています。これらの象徴(シンボル)の意味を知ることで、ダリが伝えたいメッセージがより深く、多層的に理解できるはずです。
『記憶の固執』が今も伝えたいこと
『記憶の固執』が制作されてから、既に90年以上が経過しました。にもかかわらず、なぜ私たちは今なお、これほどまでにこの小さな絵画に強く惹きつけられるのでしょうか。
それは、ダリが描き出した「時間の不確かさ」や「記憶の曖昧さ」、そして「硬い現実と柔らかい内面との葛藤」といったテーマが、情報とスケジュールに追われる現代社会に生きる私たちにとって、より切実な問題として響くからかもしれません。
私たちは日々、スマートフォンの通知やカレンダーの予定といった「客観的な(硬い)時間」に支配され、それに追われるように生きています。そんな中で、自分自身の「主観的な(柔らかい)心の時間」を見失ってしまってはいないでしょうか。
『記憶の固執』は、「あなたが本当に生きているのは、どちらの時間ですか?」と、私たちに静かに、しかし強烈に問いかけ続けているのです。
もしニューヨーク近代美術館(MoMA)を訪れる機会があれば、ぜひ実物の前に立ち、そのA4サイズほどの小さな画面から放たれる強烈なエネルギーと、ダリからの時代を超えた問いかけを、全身で感じ取ってみてください。
