ルノワールの有名な絵を厳選!代表作の特徴や値段まで徹底解説

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ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。

印象派の巨匠ルノワール有名な絵と言えば何でしょうか?代表作や作品の特徴を詳しく知りたいと思っていませんか?

陽光あふれる風景画や、晩年に愛したアネモネをはじめとするルノワールの花の絵画は日本でも大人気ですが、その背景には意外なドラマが隠されています。この記事では、日本国内で見られる作品一覧や作品数を整理しつつ、あの美少女イレーヌの悲劇や、バブル期に話題となった驚きの絵画の値段、そして画家の人生観が表れた名言までを徹底解説します。

この記事で分かること
  • ルノワールの人生とともに変化する画風と代表作の特徴
  • 日本国内の美術館で実際に見ることができる作品リスト
  • 100億円超えも記録した絵画の値段とバブル時代の伝説
  • 「幸福の画家」が晩年に抱えていた痛みと制作の秘密
目次

ルノワールの有名な絵の秘密:幸福の画家の生涯と代表作

まずは、ルノワールという画家がどのようにスタイルを変えながら数々の名画を生み出していったのか、その変遷を辿ってみましょう。初期の傑作から、悲劇的な運命を背負った少女の肖像画まで、知れば知るほど絵を見るのが楽しくなるエピソードをご紹介します。

ルノワールを象徴する作品の特徴と変遷

ルノワール「ピアノを弾く少女たち」
画像出典:オーギュスト・ルノワール「ピアノを弾く少女たち(Young Girls at the Piano)」(1892年、ナショナル・ギャラリー所蔵)。出典:Wikimedia Commons

ピエール=オーギュスト・ルノワールは、1841年にフランスのリモージュで仕立屋の息子として生まれました。彼の作品の特徴を語る上で絶対に欠かせないのが、彼のキャリアが「磁器の絵付け職人」からスタートしているという事実です。

13歳という若さでパリの磁器工房に奉公に出た彼は、白い磁器の上に透明感のある色彩を薄く重ねていく技術を徹底的に叩き込まれました。この経験が、のちに印象派の画家となった際にも、「下地が透けて見えるような透明感のある肌」や「陶器のようになめらかな質感」として現れているのです。当時の職人としての技術が、芸術家ルノワールの基礎を作ったと言っても過言ではありません。

ルノワールの画風は、長い画業の中で大きく変化しています。これを理解しておくと、美術館で作品を見たときに「これは〇〇時代の作品だな」と楽しめるようになりますよ。大まかには以下の4つの時期に分けられます。

時期区分年代特徴代表作
初期・印象派時代(虹色の時代)1870年代戸外の光を捉え、輪郭線をぼかした柔らかい表現。影に黒を使わず、青や紫を用いる。《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
《ぶらんこ》
アングル様式(乾いた時代)1880年代半ばイタリア旅行でラファエロに感銘を受け、明確な輪郭線と硬質なフォルムを追求した古典回帰の時代。《雨傘》
《大水浴図》
真珠色の時代1890年代~印象派の色彩と古典的なフォルムを融合。真珠のような光沢と、流れるような筆致が特徴。《ピアノを弾く少女たち》
《眠る少女》
晩年(カーニュ時代)1900年代~南仏の強い光の下、豊満な裸婦や風景を赤やオレンジを多用して描く。生命力に溢れる。《パリスの審判》
《浴女たち》

特にファンが多いのは、やはり「虹色の時代」と、円熟味を増した「真珠色の時代」でしょうか。しかし、一度スランプに陥って「自分は描くこともデッサンすることもできない」と悩み抜き、あえて硬い線で描くことに挑戦した「乾いた時代」の苦闘も、人間・ルノワールを感じさせて私はとても好きです。常に現状に満足せず、新しい表現を追い求めた探求者だったのですね。

また、彼はモネやシスレーといった印象派の仲間たちと、グレールのアトリエで出会いました。彼らと共にキャンバスを持って外へ飛び出し、太陽の光を追いかけた青春時代が、あの輝くような作品群を生み出したのです。

印象派全盛期を飾るダンスの代表作

ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876年、オルセー美術館所蔵)。出典:Wikimedia Commons

印象派時代のルノワールを語る上で、ダンスをテーマにした作品群は避けて通れません。当時のパリでは、庶民や芸術家が集まって踊りを楽しむダンスホールが流行していました。ルノワールは、そうした人々の生き生きとした姿を、光あふれる描写でカンバスに留めました。

その筆頭が、オルセー美術館の至宝《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》です。モンマルトルの丘にあった野外ダンス場での日曜日の午後を描いたこの大作は、木漏れ日の表現が最大の見どころです。太陽の光が木の葉を通して地面や人々の服、肌にまだら模様を描く様子を、ルノワールは大胆な筆致で表現しました。

当時の評価は散々だった?

今でこそ傑作と称えられますが、発表当時は批評家から酷評されました。「人物の肌がまるで腐った肉のようだ」「死体の斑点のようだ」とまで言われたのです。当時の伝統的な絵画技法では、肌に紫や緑の影を落としたり、まだらな光を描いたりすることは「不潔」で「未完成」なものとして受け取られたんですね。しかし、ルノワールは「現実の光はそのように見える」と信じ、視覚的な真実を追求しました。

また、1883年に制作された「ダンス三部作」も非常に有名です。これらはセットで語られることが多く、それぞれ異なる魅力を持っています。

  • 《田舎のダンス》:温かみのある幸福な雰囲気が特徴。モデルは、のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴです。ふっくらとした頬と愛らしい笑顔で、ルノワールの彼女への愛情が伝わってくるようです。
  • 《都会のダンス》:洗練されたクールな雰囲気が漂います。モデルは、画家のユトリロの母としても知られるシュザンヌ・ヴァラドン。白いドレスに身を包み、少しすました表情を見せています。
  • 《ブージヴァルのダンス》:パリ郊外の行楽地でのダンスを描いたもので、二人の世界に没頭するロマンチックな空気が流れています。
ルノワール「田舎のダンス」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「田舎のダンス」(1883年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵)。出典:Wikimedia Commons
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「都会のダンス(Dance in the City)」(1883年、オルセー美術館所蔵)。出典:Wikimedia Commons
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「ブージヴァルのダンス(Dance at Bougival)」(1883年、ボストン美術館所蔵)。出典:Wikimedia Commons

《田舎のダンス》のアリーヌと、《都会のダンス》のシュザンヌ。対照的な二人の女性モデルを見比べるのも、この時期の作品を楽しむポイントの一つです。実はこの頃、ルノワールはシュザンヌとも関係があったと言われており、そんな複雑な人間関係を想像しながら鑑賞するのも、大人の楽しみ方かもしれませんね。

悲劇を秘めた美少女イレーヌ嬢の肖像画

ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン=ダンヴェール嬢の肖像」(1880年、Bührle コレクション所蔵)。出典:Wikimedia Commons

ルノワールの描く肖像画の中でも、別格の人気を誇るのがイレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢です。8歳の少女の横顔を描いたこの作品は、透き通るような肌、豊かな栗色の髪、そして吸い込まれそうな青いリボンと瞳が完璧な調和を見せ、「絵画史上、最も美しい少女像」の一つと称賛されています。

しかし、このあまりに美しい絵画は、20世紀最大の悲劇の一つであるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)と深く結びついています。モデルとなったイレーヌは、当時のパリで絶大な力を持っていたユダヤ系銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵の長女でした。

美しさに隠された残酷な運命

イレーヌ自身は長生きし、90歳近くまで生きましたが、彼女の人生は過酷なものでした。彼女は同じくユダヤ系の富豪カモンド家に嫁ぎますが、離婚。そして第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがフランスを占領すると、イレーヌの娘ベアトリスとその家族(イレーヌの孫たち)はナチスに捕らえられ、アウシュヴィッツ強制収容所へと送られてしまいました。そして、二度と帰ってくることはありませんでした。

この《イレーヌ嬢》の絵画自体も、ナチスの略奪部隊によってカモンド家から没収されました。戦後、奇跡的に発見され、映画『ミケランジェロ・プロジェクト』でも描かれたような美術品救済の取り組みの中で、持ち主であったイレーヌ本人の元へと返還されたのです。その後、スイスの実業家エミール・ビュールレが購入し、現在はビュールレ・コレクションの至宝となっています。

ポイント

数年前に日本で開催された「ビュールレ・コレクション展」でもこの作品は最大の目玉となり、多くの人がその美しさにため息を漏らしました。しかし、その清らかな瞳の奥に、家族を奪われた戦争の記憶と、数奇な流転の物語が秘められていることを知ると、美しさがいっそう切なく、胸に迫ってくるのではないでしょうか。

華やかな群像を描く初期の風景画

ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」

ルノワールというと人物画、特に女性像のイメージが強いですが、人物を風景の中に巧みに配置した初期の風景画(群像画)にも傑作があります。その代表が、ワシントンD.C.のフィリップス・コレクションが所蔵する《舟遊びをする人々の昼食》です。

この作品は、パリ郊外のシャトゥーにあるレストラン「メゾン・フルネーズ」のテラスを描いたものです。セーヌ川での舟遊びを楽しんだ後、友人たちがテーブルを囲んでリラックスして食事や会話を楽しんでいる……そんな幸福な瞬間が切り取られています。

この絵が面白いのは、描かれている人物のほとんどが特定されており、ルノワールの「仲間たち」だということです。

  • 左手前で子犬と戯れる女性:先ほども登場した、のちの妻アリーヌ・シャリゴです。彼女はルノワールの最愛のミューズでした。
  • 右奥でシルクハットを被った男性:富裕な画家であり、印象派のパトロンでもあったギュスターヴ・カイユボットです。
  • 手すりにもたれかかる男性と女性:レストランのオーナーの息子と娘です。

この作品では、遠景のセーヌ川や木々の描写には印象派らしい筆致が見られますが、手前の人物や静物(テーブル上のワインや果物)は比較的しっかりとしたフォルムで描かれています。これは、ルノワールが純粋な印象派の手法から、より構築的な古典的様式へと移行しつつある時期の兆候でもあります。

また、X線調査などによると、ルノワールはこの複雑な構図をまとめるために何度も修正を重ねたことが分かっています。一見するとスナップショットのように自然な光景ですが、実は計算し尽くされた配置によって、視線が画面全体を巡るように設計されているのです。「楽しそうなランチ」の一枚に見えて、画家の高度な技術と演出が詰まった名画なんですね。

日本で見られる作品一覧 作品数と所蔵館

「本やネットの画像ではなく、本物のルノワールの筆致を自分の目で見たい」と思いませんか? 幸いなことに、日本は世界屈指の印象派コレクション保有国です。東京をはじめ、全国各地の美術館でルノワールの名品に出会うことができます。

ここでは、常設展示やコレクション展でルノワールが見られる可能性が高い主要な美術館をピックアップしました。日本にあるルノワールの作品一覧として参考にしてください。

美術館名主な所蔵作品と見どころ
国立西洋美術館(東京)《アルジェリア風のパリの女たち》:ドラクロワへのオマージュとも言える初期の大作。
《帽子の女》:真珠色の時代の繊細な色彩が美しい作品。※松方コレクションの中核をなす充実した作品数を誇ります。
アーティゾン美術館(東京)《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》:裕福な出版業者の娘を描いた愛らしい肖像画。少女の生意気そうな表情がたまりません。
ポーラ美術館(神奈川)《レースの帽子の少女》:パステルカラーの背景と少女の表情が溶け合うような名品。
《アネモネ》:晩年の鮮やかな静物画。※国内最大級の印象派コレクションがあり、保存状態も極めて良好です。
ひろしま美術館(広島)《パリスの審判》:晩年の神話画の傑作。ルノワールが到達した「豊満な美」の集大成を見ることができます。
大原美術館(岡山)《泉による女》:日本で最初に西洋美術を本格的に紹介した美術館ならではの良品。
鹿児島市立美術館(鹿児島)《バラ色の服を着たコロナ・ロマノの肖像》:晩年のモデルを描いた、南仏の光を感じさせる作品。

特に国立西洋美術館(東京・上野)は、実業家・松方幸次郎が「日本の若手の画家に本物の西洋画を見せたい」という熱意で収集した「松方コレクション」がベースになっており、ルノワール作品も複数点所蔵しています。

2025年などの節目には、海外のオルセー美術館などから借用した作品を加えた大規模な「ルノワール展」や「印象派展」が開催されることもよくあります。こうした展覧会では、普段日本にはない超有名作品(《ピアノを弾く少女たち》など)が来日することもあるので、美術館の公式サイトやニュースをこまめにチェックするのがおすすめです。

詳細な所蔵作品や開館情報については、各美術館の公式情報を確認してください。

(出典:国立西洋美術館『所蔵作品検索』)

晩年に描かれた ルノワールの花とアネモネ

ルノワール「アネモネ」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「アネモネ(Anemones)」 (制作年不詳、バーンズ・コレクション所蔵)。出典:Wikimedia Commons

ルノワールは「を描くと気が休まる」と語り、生涯を通じて多くの花の絵を残しました。特に晩年、彼が好んで描いたのがルノワールの花の代表格であるバラアネモネです。

なぜ、巨匠ルノワールは花を描き続けたのでしょうか? それには二つの理由があると考えられています。

  1. 色彩の実験室として:

    注文主の意向を気にしなければならない肖像画とは違い、静物画は画家が自由に色や筆遣いを試せる場でした。特にアネモネのような色彩豊かな花は、彼が追求した「光の表現」や「色の調和」を実験するのに最適なモチーフでした。

  2. 肉体的な制約の中で:

    後述するように、晩年のルノワールは重度のリウマチに苦しんでいました。巨大なキャンバスに向かって人物画を描くことは体力的に過酷でしたが、花瓶に入った花であれば、アトリエの中で比較的身体への負担を少なくして描くことができました。

晩年の花の作品を見ると、花びらの一枚一枚を克明に描くというよりは、絵具を厚く塗り重ねたり、色が混ざり合ったりする「絵肌(マチエール)」の美しさが際立っています。アネモネの赤や紫が画面の中で踊っているような表現は、見ているだけでこちらの心まで温かくしてくれます。

「絵画は壁を飾る宝石のようなものでなければならない」と考えていたルノワールにとって、美しい花の絵は、まさに生活を彩る宝石そのものだったのかもしれません。

美術史と市場が語るルノワールの有名な絵の真価

ここからは、少し視点を変えて「お金」や「画家の哲学」という側面からルノワールの絵を見ていきましょう。なぜ彼の絵はこれほどまでに高額で取引され、世界中で愛され続けるのでしょうか。

画家の哲学が凝縮された人生の名言

ルノワールは、その作品と同様に前向きで美しい名言をいくつも残しています。私が特に好きで、彼の生き様を象徴していると思うのが、この有名な言葉です。

「痛みは過ぎ去るが、美は残る(La douleur passe, la beauté reste)」

この言葉は、最晩年、リウマチで変形した手に筆を縛り付けて制作しているルノワールを、友人の画家アンリ・マティスが見舞った際に発せられたと伝えられています。マティスが「先生、なぜそんなに苦しんでまで描くのですか?」と尋ねたところ、ルノワールはこう答えたのです。

肉体の苦痛は一時的なものだが、作品として生み出された「美」は永遠に残る。まさに芸術家の魂の叫びとも言える言葉ですね。

また、彼はこんな言葉も残しています。

「私にとって絵画とは、愛らしく、楽しく、美しいものでなければならない。人生には不愉快なことがたくさんある。これ以上、不愉快なものを作る必要はない」

同時代の画家たちが、社会の闇や人間の苦悩を描こうとする中で、ルノワールは頑なに「幸福」や「美」を描くことにこだわりました。それは現実逃避ではなく、「絵画こそが人々に安らぎを与えるべきだ」という強い信念があったからです。だからこそ、彼の絵はいつの時代も見る人を幸せな気持ちにさせてくれるのでしょう。

驚愕の価格:絵画の値段とバブルの伝説

ルノワールといえば、日本のバブル経済期における伝説的なエピソードを避けて通ることはできません。美術市場において、ルノワールの絵画の値段が世界的なニュースになった瞬間です。

1990年5月17日、ニューヨークのサザビーズ・オークション。ここでルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(オルセー美術館のものより小さいサイズ)が出品されました。激しい入札合戦の末、落札したのは日本の大昭和製紙(当時)の名誉会長、齋藤了英氏でした。

その落札価格は、なんと7,810万ドル。当時の日本円レート(1ドル=約153円)換算で、約119億円という天文学的な金額でした。これは当時、絵画取引史上2番目の高値記録でした(1位は数日前に同じく齋藤氏が落札したゴッホの《医師ガシェの肖像》)。

「棺に入れて燃やしてくれ」発言の真意

この時、齋藤氏が「私が死んだら、この絵を棺に入れて一緒に燃やしてくれ」と発言したと報じられ、世界中の美術愛好家から猛烈な非難を浴びました。「文化遺産を私物化するのか」という怒りです。しかし、齋藤氏はのちに「それくらいこの絵が好きで、手放したくないという愛情表現のつもりだった」と釈明しています。

バブル崩壊後、この絵画は借金の担保として金融機関の手に渡り、その後海外のコレクターへ売却されたと言われています。現在どこにあるのかは正確には公表されていませんが、スイスの個人コレクションにあるという説が有力です。

このエピソードは、ルノワールの絵画が「美の象徴」であると同時に、投機や欲望の対象となる「資産」としての側面も持っていることを、強烈に印象付けました。

技法から読み解くルノワールの作品の特徴

改めて、技術的な面からルノワールの作品の特徴を深掘りしてみましょう。「ルノワールの絵はなぜ、あんなに明るく輝いて見えるのか?」その秘密の一つは、「黒を使わない」という色彩理論にあります。

伝統的な絵画では、影を描くときに黒や褐色を使って暗くするのが一般的でした。しかし、ルノワールら印象派の画家たちは、自然界を観察する中で「影にも色がある」ということに気づきました。例えば、雪の日の影は青っぽく見えたり、木漏れ日の影は紫色に見えたりします。

筆触分割(ひっしょくぶんかつ)のマジック

ルノワールは、絵具をパレットの上で混ぜ合わせるのではなく、純粋な色を小さなタッチ(筆触)でキャンバスに並べて置く技法を多用しました。これを離れて見ると、鑑賞者の網膜の上で色が混ざり合って見えます(視覚混合)。

例えば、赤と青の点を隣り合わせに置くと、遠目には鮮やかな紫に見えます。絵具を混ぜて作った紫よりも、光を反射して明るく見えるのです。

また、彼の描く肌の表現も独特です。「真珠色」と形容されるその肌は、薄く溶いた絵具を何度も塗り重ねる(グレーズ技法に近い)ことで、下地の色が透けて見えるような効果を生んでいます。磁器絵付け職人時代の経験がここで生きているわけですね。

一方で、晩年の裸婦像などに対しては「体が不自然」「顔が小さすぎてちょっと怖い」と感じる方もいるかもしれません。実際、晩年のルノワールは、モデルを前にしていても、独自の美意識に基づいて体をデフォルメして描きました。顔が小さく、臀部や太腿が極端に大きいそのプロポーションは、彼が理想とした「生命の源としての豊かさ」や「母性的な大地のような存在感」を表現した結果なのです。

幸せな画家が残した最晩年の風景画

ルノワール「レ・コレットの農場」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「レ・コレットの農場、カーニュ(The Farm at Les Collettes, Cagnes)」(1908–1914年、メトロポリタン美術館所蔵)。出典:Wikimedia Commons

最後に紹介したいのが、最晩年の風景画です。ルノワールは晩年、持病のリウマチが悪化したため、温暖な気候を求めて南フランスのカーニュ=シュル=メールにある「レ・コレット」という広大な敷地を持つ家に移り住みました。

この時代の彼の身体状況は壮絶なものでした。関節は変形し、車椅子での生活を余儀なくされ、筆を自分で握ることさえできず、包帯で手にくくりつけてもらって描いていたといいます。しかし、そんな身体の自由を奪われた状態で描かれた風景画は、驚くほど自由で、明るい光に満ちています。

樹齢数百年のオリーブの木々、南仏の強い陽射しを浴びた家並み、庭に咲く花々……。晩年の風景画では、形(フォルム)はほとんど溶け合い、赤、オレンジ、黄色といった暖色が画面全体を覆い尽くしています。そこには苦痛の影は一切ありません。あるのは、世界を祝福するような圧倒的な多幸感だけです。

「私は、風景の中に散歩に行きたくなるような絵が好きだ」と語っていたルノワール。彼は動かない足の代わりに、絵筆を使ってキャンバスの中を自由に散歩していたのかもしれません。レ・コレットの家は現在ルノワール美術館として公開されており、彼が最期まで見つめ続けたオリーブ畑の風景を今も見ることができます。

日本で見ることのできるルノワールの風景画

もし日本で探すなら、アーティゾン美術館(東京)が所蔵している《カーニュのテラス》(1905年)が、最晩年期(またはその入り口)の傑作として非常に有名で、人気があります。

ルノワール「カーニュのテラス」
画像出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール「カーニュのテラス(Terrace at Cagnes)」(1905年、アーティゾン美術館所蔵)。出典:Wikimedia Commons

まとめ:時代を超えて愛されるルノワールの有名な絵の魅力

今回は、「ルノワール 有名な絵」をテーマに、代表作から市場価値、そして画家の壮絶な人生までを深掘りしてご紹介しました。

  • ルノワールの画風は、「虹色」の印象派時代から、迷いの「古典」時代を経て、円熟の「真珠色」へとドラマチックに変化している。
  • 《イレーヌ嬢》のような美しい絵の背後には、戦争やホロコーストといった悲しい歴史的事実が隠されている。
  • 日本はルノワールの宝庫。国立西洋美術館やポーラ美術館などで、世界レベルの名画を実見できる。
  • 100億円を超える価格がついた背景には、バブル時代の日本の熱狂があった。
  • 晩年の闘病の中でも「痛みは過ぎ去るが、美は残る」と信じ、最後まで「生きる喜び」を描き続けた姿勢こそが最大の魅力。

ルノワールの絵画は、単に「きれいでお洒落な絵」というだけではありません。激動の時代、個人的な苦難、そして芸術への果てしない探求心が生み出した、強靭な精神の結晶です。もし美術館で彼の作品に出会ったら、その柔らかな色彩の奥にある、画家の熱い魂と物語に思いを馳せてみてください。きっと、今までよりも深く、作品が語りかけてくるはずです。

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