ボッティチェリ地獄図の謎を解説!ダンテ神曲の世界と未完の真実

当ページのリンクには広告が含まれています。
ボッティチェリ 地獄図 解説

こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。

優美なヴィーナスや春の女神を描いた画家として知られるサンドロ・ボッティチェリですが、彼が晩年にダンテの神曲をテーマにした恐ろしい地獄図を描いていたことをご存知でしょうか。

映画『インフェルノ』の題材にもなったこの作品は、その不気味さと精密さから多くの謎を呼んでいます。なぜ美しい画風の彼がこれほどまでにグロテスクな世界を描いたのか、そしてなぜ作品は未完のままなのか。地獄篇の地図に込められた意味やヴァチカンに眠る実物の行方など、知れば知るほど興味深いボッティチェリの地獄図について、詳しく見ていきましょう。

この記事で分かること
  • 優美な画家ボッティチェリが描いた「地獄図」の意外な正体と構造
  • ダンテ『神曲』を視覚化するために使われた超絶技巧の銀筆画
  • 映画『インフェルノ』で話題になった暗号と実際の作品との違い
  • 作品が未完に終わった背景にあるフィレンツェの歴史と悲劇
目次

ボッティチェリの地獄図を徹底解説

ボッティチェリといえば、明るく華やかなルネサンスのイメージが強いですが、この「地獄図」は全く異なるオーラを放っています。

まずは、この作品がどのような意図で描かれ、どんな構造を持っているのか、その全貌を整理してみましょう。

ダンテ神曲と地獄図の関係性

ボッティチェリの「地獄図」
画像出典:サンドロ・ボッティチェリ「地獄図」(15世紀、バチカン図書館)。出典:Wikimedia Commons

この「地獄図」は、単なる一枚の絵画や挿絵ではありません。これは、14世紀初頭に書かれたイタリア最大の詩人ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』地獄篇を、視覚的に完全再現しようとした壮大なプロジェクトの核心部分なのです。当時のフィレンツェにおいて、ダンテは単なる詩人ではなく、都市のアイデンティティそのものでした。1481年にはクリストフォロ・ランディーノによる注釈付きの『神曲』が出版され、フィレンツェの知識人たちの間でダンテ研究がブームとなっていました。

ボッティチェリが目指したのは、ダンテがテキストで構築した複雑怪奇な死後の世界を、ルネサンス的な「理知」と「幾何学」で再構築することでした。彼は詩の行間を読み解き、地獄の深さ、幅、そして各圏の配置を計算し尽くして、まるで建築図面のような正確さでこの地図を描き上げました。それは、中世的な混沌とした地獄のイメージを、近代的な「地図」へと昇華させる試みだったとも言えます。文学的な構造をそのまま絵画に落とし込む「地図」として描こうとした彼の情熱は、芸術家の枠を超え、一種の研究者のような執念を感じさせます。

ここがポイント

この作品は「絵画」であると同時に、ダンテの世界観を正確に記録した「図鑑」や「地質学的調査記録」としての側面を強く持っています。鑑賞者は絵を見るのではなく、地獄という空間そのものを読むことが求められているのです。

9つの圏からなる地獄の構造

愛欲、暴力、裏切りの罪とそれぞれの罰を描いた地獄の階層詳細

ボッティチェリが描いた地獄は、エルサレムの真下に開いた、すり鉢状(漏斗状)の巨大な穴として表現されています。上から下へ行くほど空間は狭まり、罪は重くなり、その罰も過酷になっていく逆円錐形の構造です。この穴は、かつて神に反逆した堕天使ルシファーが天界から墜落した際に、驚愕した大地が避けたためにできた空間だとされています。

この地図を詳細に観察すると、同心円状に層が分かれているのが分かります。これが「9つの圏(サークル)」です。ボッティチェリは、各圏の地形や罪人たちの責め苦を、驚くべき解像度で描き分けています。

スクロールできます
階層「罪の内容」描かれている罰の様子と詳細
第1圏「辺獄(リンボ)」洗礼を受けていない正しい異教徒や子供たちが留まる場所。肉体的な苦しみはないが、永遠に神を見ることができない憂愁の中にいる。緑豊かな城として描かれています。
第2圏「愛欲」理性を肉欲に従わせた罪。パオロとフランチェスカのように、永遠に止むことのない黒い暴風に吹き流され、愛する者同士でも安らぎを得られません。
第3圏「貪食」大食いの罪。冷たい雨と汚れた雪が降り注ぐ泥沼の中で、三つの頭を持つ番犬ケルベロスに引き裂かれ、耳をつんざくような吠え声に苛まれます。
第4圏「貪欲」ケチ(吝嗇)と浪費。重い岩や金貨の詰まった袋を胸で押し転がし、互いに衝突させては罵り合うという無意味な労働を永遠に繰り返します。
第5圏「憤怒」怒りに身を任せた者たち。スティージュ(三途の川)の泥沼で、全裸で互いに噛みつき合い、殴り合い、泥にまみれて窒息しながら戦い続けています。
第6圏「異端」魂の死を説いたエピクロス派など。蓋の開いた石棺が整然と並び、その中から激しい炎が噴き出しており、審判の日まで焼かれ続けます。
第7圏「暴力」三つの環に分かれます。隣人への暴力は煮えたぎる血の川で茹でられ、自己への暴力(自殺)は奇怪な樹木に変えられ、神への暴力は火の雨が降る熱砂で焼かれます。
第8圏「欺瞞」悪意を持って人を騙した罪。「マレボルジェ(悪の袋)」と呼ばれる10の同心円状の濠で構成され、女衒、阿諛追従者、聖職売買者などが、排泄物や瀝青、蛇などに責められます。
第9圏「裏切り」最も重い罪。コキュートスという氷の湖に、首まで、あるいは全身を氷漬けにされ、涙も凍る極寒の中で永遠の沈黙を強いられます。

最下層の地球の中心点には、裏切り者の王である魔王ルシファーが鎮座しています。彼は三つの顔を持ち、それぞれの口でユダ、ブルータス、カッシウスという歴史上の三大裏切り者を噛み砕いています。ボッティチェリはこの複雑怪奇な階層構造を、一枚の羊皮紙の中に破綻なく収め、地獄の全貌を鳥瞰図として完成させているのです。

怖いほど緻密な銀筆画の技法

金細工師の修練が生んだボッティチェリの消せない線と精密描写

この作品の実物を見た人が最も驚くのは、そのサイズの小ささに対して、書き込みが異常なほど細かいことです。使われている支持体は上質な羊皮紙(ヴェラム)で、描画材には「銀筆(シルバーポイント)」という、ルネサンス期特有の非常に扱いの難しい技法が採用されています。

銀筆とは、骨の灰や鉛白を混ぜた地塗りを施した紙の上に、銀の尖筆で線を描く技法です。描いた直後の線は非常に薄い灰色ですが、時間が経つにつれて銀が空気中の硫黄分と反応して酸化し、温かみのある褐色へと変化します。この技法の最大の特徴にして最大の難点は、「一度引いた線は消しゴムで消すことができない」という点にあります。修正が効かないため、画家には迷いのない完璧なデッサン力と、事前の周到な計画が求められます。

金細工師としてのルーツ

ボッティチェリは画家になる前、金細工師の工房で修行をしていました。この地獄図に見られる、金属を彫るような鋭く繊細な線描は、その当時の修練の賜物だと言われています。

ルーペを使わなければ判別できないような数ミリ単位の人間が、画面全体で何千人と描かれています。苦悶の表情を浮かべる罪人、毛の一本一本まで描かれた悪魔、そして地獄の岩肌のゴツゴツとした質感まで、狂気じみた集中力で描かれているのが伝わってきます。それはもはや絵画というより、ミクロの彫刻と呼ぶべき密度を持っています。

メディチ家の依頼と制作背景

なぜこれほど手間と時間がかかる、採算度外視の仕事を引き受けたのでしょうか。このプロジェクトの依頼主は、ボッティチェリの最大のパトロンであり、当時のフィレンツェで絶大な力を持っていたメディチ家の一人、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチでした。彼は「豪華王」ロレンツォ・デ・メディチの又従兄弟にあたり、「プリマヴェーラ(春)」の依頼主としても知られる、芸術に造詣の深い人物です。

15世紀後半のフィレンツェにおいて、豪華な装飾を施した「神曲」の写本を所有することは、単なる趣味を超えた、家の権威と知性を示す文化的なステータスシンボルでした。特に、印刷技術が登場し始めていた時代にあって、あえて手描きの最高級写本を作ることは、メディチ家の富と洗練を内外に誇示する行為だったのです。ボッティチェリはパトロンの期待に応えるため、1480年代から90年代にかけての約10年間、他の仕事を断ってでもこの「地獄図」を含む全100歌の挿絵制作に没頭したと言われています。ヴァザーリの伝記によれば、彼はこの仕事に熱中するあまり「生活が乱れ、仕事場が混乱した」とまで記されています。

異時同図法で描かれた物語

地獄図の中に複数回描かれたダンテの移動経路を示す図解

この地図の非常にユニークな点は、これが静止した風景画ではなく、時間の流れを含んだ「物語」であるということです。画面の中を丹念に探してみると、赤い服を着たダンテと、青・紫の服を着た案内人ウェルギリウスの二人が、画面の中になんと数十回も登場していることに気づきます。

これは「異時同図法(Continuous Narrative)」と呼ばれる、中世からルネサンスにかけてよく用いられた絵画技法です。ボッティチェリはこの手法を駆使し、二人が地獄の門をくぐり、各圏で罪人たちと対話し、断崖を降り、最終的に中心部へと至るまでの旅の行程を、一枚の地図上に「すごろく」のように展開しました。

視線誘導の巧みさ

例えば、第7圏から第8圏へ降りる急峻な崖の場面では、二人が怪獣ゲリュオンの背中に乗って空を飛んで移動する様子が描かれています。鑑賞者は指で二人を追いかけていくことで、まるでアニメーションを見るように地獄巡りの旅を追体験できる仕組みになっているのです。

この手法により、ボッティチェリは地理的な情報だけでなく、ダンテが体験した恐怖や驚き、そして道徳的な教訓といった時間の経過を伴うドラマをも、一枚の絵の中に凝縮することに成功しました。

ボッティチェリの地獄図に隠された謎

さて、ここからはこの作品を取り巻くミステリーや、現代における受容についてお話しします。特にダン・ブラウンのベストセラー小説『インフェルノ』やその映画化によって、この地図は世界的な注目を集めましたが、フィクションと歴史的事実は少し異なります。

映画インフェルノの暗号と真実

映画の演出である隠し文字「CATROVACER」と実際の素描に関する真偽検証

トム・ハンクス主演の映画『インフェルノ』では、ボッティチェリの「地獄図」が物語の重要な鍵として登場します。劇中では、地図の中に「CATROVACER」といった文字が微細に隠されており、それを特定の順序で並べ替えると「CERCA TROVA(探せ、さらば見つからん)」という暗号が浮かび上がる……というスリリングな展開がありました。

注意:これはフィクションです

実際の実物であるボッティチェリの素描には、あのようなアルファベットや隠し文字は描かれていません。また、地獄の層の順序が入れ替えられているという設定も、小説独自のアレンジです。

ただし、「CERCA TROVA」という言葉自体は実在します。これはフィレンツェのヴェッキオ宮殿にあるジョルジョ・ヴァザーリの壁画《マルチャーノの戦い》の旗に小さく書かれている言葉で、その裏にレオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画《アンギアーリの戦い》が隠されているのではないか、という美術史上の大きな謎を指しています。ダン・ブラウンは、この実在するミステリーとボッティチェリの地獄図を巧みにリンクさせ、現代的なサスペンスを作り上げたのです。とはいえ、ダンテの難解なテキストを視覚言語に変換したという意味では、この作品自体が「読み解かれるべき暗号」の塊であることは間違いありません。

Amazonプライムビデオで映画「インフェルノ」を観る

作品が未完に終わった理由

メディチ家の追放とサヴォナローラの影響を示すアイコンイラスト

実は、この壮大なプロジェクトは完成を見ることなく中断されました。計画されていた全100枚の挿絵のうち、完全に彩色まで施されたのは「地獄図」を含むごく数枚(4枚程度と言われます)のみで、残りの大部分は銀筆による素描か、あるいはペン入れの段階で止まっています。

なぜ未完に終わったのか。美術史家の間では、主に以下の2つの理由が有力視されています。

  • メディチ家の失脚と追放:1494年、フランス王シャルル8世の侵攻と市民の蜂起により、メディチ家はフィレンツェから追放されました。依頼主であるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコも亡命を余儀なくされ、ボッティチェリへの資金提供が完全に途絶えてしまったのです。
  • サヴォナローラの影響:同時代、ドミニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラが「虚栄の焼却」を訴え、フィレンツェ市民に終末論的な恐怖を植え付けました。ボッティチェリ自身もこの「預言者」の影響を強く受け、自らの芸術を悔い改めるようになったと言われています。

特にサヴォナローラの説教は、画家の精神に深い影を落としました。かつてヴィーナスを描いた手で、地獄の責め苦を描き続けることは、彼自身の魂にとっても耐え難い苦行となったのかもしれません。地獄の恐ろしい世界に没入しすぎた結果、画家自身が精神的に疲弊してしまったという説も、あながち空想とは言い切れない説得力を持っています。

ヴァチカンにある実物の場所

ヨーロッパ地図上で示すヴァチカン図書館とベルリン国立版画素描館の所在地

現在、この貴重な「地獄図」を含む7枚の羊皮紙は、世界で最も神聖かつ厳重な場所の一つ、ヴァチカン図書館に収蔵されています。これらは元々、17世紀にスウェーデンのクリスティーナ女王が所有していたコレクションの一部でしたが、彼女の死後、教皇アレクサンデル8世によって買い取られ、ヴァチカンにもたらされました。

残念ながら、この作品が一般公開されることは極めて稀です。羊皮紙は湿度や温度の変化に弱く、銀筆画は光を浴び続けると劣化してしまうため、普段は空調管理された暗い収蔵庫の中で眠っています。「Botticelli Inferno」展のような特別な機会を除けば、私たちが実物を目にすることはほとんど不可能です。しかし、現在はヴァチカン図書館のデジタルアーカイブによって、誰でも高精細な画像でその細部を確認することが可能になっています。

【参考資料】ヴァチカン図書館デジタルアーカイブで高画質鑑賞

実際にボッティチェリが描いた「地獄図」の高精細画像は、以下の公式サイトで閲覧することができます。ぜひ拡大して、その超絶技巧を確かめてみてください。

(出典:ヴァチカン図書館デジタルアーカイブ『Reg.lat.1896.pt.A』

ベルリンにある素描との関係

実は、ボッティチェリの『神曲』挿絵シリーズは、歴史の皮肉によって二つの場所に引き裂かれています。ヴァチカンにある7枚以外の残り、つまり85枚の素描は、ドイツのベルリン国立版画素描館が所蔵しています。

これらは19世紀末、イギリスのハミルトン公爵のコレクションから売りに出された際、ベルリンの博物館が購入したものです。当時、イギリス国内でも「国宝級の作品が流出する」と大騒動になりましたが、結果としてベルリンに渡ることになりました。現在、このシリーズは「ベルリン素描」と「ヴァチカン素描」として分断されていますが、数年に一度、奇跡的な展覧会によって両者が再会することがあります。その時だけ、ボッティチェリが構想した「完全な地獄」が私たちの目の前に現れるのです。

ボッティチェリの地獄図が示す永遠の価値

500年を経ても色褪せないボッティチェリの地獄図が持つ現代的意義

今回は、「ボッティチェリ 地獄図」について、その構造から歴史的背景、そして未完の謎までを詳しく解説しました。

この作品は、単に「怖い絵」や「中世の迷信」を描いたものではありません。それは、ルネサンスという理性が目覚めつつある時代に、人間が抱える「罪」や「恐怖」という不可視の領域を、芸術の力で体系化し、可視化しようとした一人の天才画家の執念の記録です。彼が描いた地獄の地図は、現代の私たちにとっても、人間の心の闇を覗き込むためのガイドマップとして機能し続けています。

未完である空白の部分も含めて、ボッティチェリが私たちに残した「地獄への問いかけ」は、500年以上の時を経た今も色褪せることはありません。もし美術館の企画展などでレプリカや関連作品を見る機会があれば、あるいはデジタルアーカイブを通じて、ぜひその細部に目を凝らしてみてください。そこには、ダンテの言葉とボッティチェリの線が織りなす、深淵なるドラマが待っています。

※本記事の情報は歴史的な研究や一般的な解釈に基づいています。作品の解釈には諸説ありますので、一つの視点としてお楽しみください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次