草間彌生の南瓜はなぜ直島に?流された理由や場所・復活を解説

当ページのリンクには広告が含まれています。
草間彌生 直島 なぜ

こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。

瀬戸内海に浮かぶアートの聖地、直島

そのシンボルといえば、海を背景に佇む草間彌生さんの黄色い南瓜ですよね。でも、Googleで検索してみると「草間彌生 直島 なぜ」という言葉と一緒に「流された」「復活」といった気になるキーワードが出てきます。

「なぜあんな場所にカボチャがあるの?」「台風で流されたって本当?」「今は見られるの?」そんな疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。実はこの作品には、単なるオブジェ以上の深い歴史と、自然と向き合う島ならではのドラマが隠されています。

この記事で分かること
  • 直島に草間彌生作品が設置された歴史的背景と理由
  • 2021年の台風による流出事故から復活までの経緯
  • 黄色と赤の2つのカボチャの違いと鑑賞ポイント
  • 現地へのアクセス方法やグッズ購入の攻略情報
目次

草間彌生の南瓜が直島にあるのはなぜ?歴史と場所

直島といえばカボチャ、というイメージが定着していますが、そもそもなぜこの離島に世界的な現代アートが存在するのでしょうか。

ここでは、ベネッセアートサイト直島の構想から、草間彌生作品が選ばれた必然的な理由、そして2つのカボチャの特徴について掘り下げていきます。

安藤忠雄と福武總一郎が描いた直島のビジョン

直島が現在のような「アートの島」になった背景には、ベネッセホールディングスの福武總一郎氏と、建築家・安藤忠雄氏の強力なパートナーシップがあります。

1980年代後半、当時の直島は銅の製錬所から出るガスの影響で、一部の自然が失われた状態にありました。福武氏は、東京一極集中へのアンチテーゼとして、この場所を「子供たちが集い、大人が思索できる場所」として再生させることを構想しました。そこで白羽の矢が立ったのが安藤忠雄氏です。

ここがポイント

福武氏と安藤氏が目指したのは、単に美術館を建てることではなく、「在るものを活かし、無いものを創る」ことで、傷ついた自然を再生し、地域と世界をつなぐことでした。

彼らのビジョンにおいて、アートは単なる飾りではありません。過疎化が進む地域に再び活力を呼び込み、訪れる人々に「よく生きる(ベネッセ)」とは何かを問いかけるための重要なエンジンとして機能することが期待されていたのです。

安藤忠雄 × 福武總一郎の直島に関する対談が掲載されています

1994年の展覧会Out of Boundsと南瓜

「なぜあの場所に黄色いカボチャがあるのか」という問いへの答えは、1994年に開催された展覧会『Open Air ’94 “Out of Bounds” ―海景のなかの現代美術展―』にあります。

当時、美術館の中(ホワイトキューブ)ではなく、直島の圧倒的な自然の中でアートを展開しようという画期的な企画が立ち上がりました。この展覧会のために、草間彌生さんは既存の作品を持ってきたのではなく、あえて「海に突き出した古い桟橋の先端」という場所を選び、その風景のために作品を制作しました。これが「サイトスペシフィック・ワーク(特定の場所のために作られた作品)」です。

青い海と緑の木々に囲まれた瀬戸内の風景に対し、草間さんは負けない強さを持つ「黄色」と、彼女の象徴である「黒い水玉」を選びました。展覧会終了後、あまりのインパクトと場所との親和性の高さから恒久設置が決まり、直島のシンボルが誕生したのです。

黄色と赤かぼちゃの違いとどっちを見るべきか

直島には「南瓜(黄色)」と「赤かぼちゃ」の2つがありますが、それぞれの性格は全く異なります。結論から言うと、絶対に両方見るべきです。

作品名南瓜(黄色)赤かぼちゃ
場所つつじ荘近くの桟橋宮浦港すぐ横
特徴海に孤高に佇む姿中に入って遊べる
体験静かに鑑賞・撮影内部からの光を体験

黄色い「南瓜」は、自然の中にぽつんと置かれた「個」としての存在感が強く、海を背景にした絵画のような美しさがあります。一方、「赤かぼちゃ」は港にあり、直島を訪れる人々を歓迎するようなエネルギーに満ちています。静と動、それぞれの魅力を比較することで、草間ワールドをより深く理解できるでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次