こんにちは。「アートの地図帳」のさとまるです。
「ゴッホの最後の絵」と聞いて、皆様はどの作品を思い浮かべるでしょうか?おそらく、多くの人が、荒れ狂う暗い空の下、不吉なカラスの群れが飛び交う麦畑の絵「カラスのいる麦畑」を想像するのではないかと思います。あの絵には、まるで自分の死を予感していたかのような、言いようのない不安と孤独が漂っていますよね。
ですが、もしその「定説」が間違いだったとしたらどうでしょうか?実は、長年信じられてきたこの物語は、近年の美術史研究と、ある劇的な発見によって完全に覆されたのです。私たちが学校やテレビで教わってきたゴッホの最期は、事実とは異なる部分が多く含まれていました。
この記事では、2020年に世界中を驚かせた「真の絶筆」の発見と、そこから見えてくる画家の最期の瞬間の真実について、最新の研究成果をもとに詳しく掘り下げていきます。カラスの絵が最後ではない理由、新たに見つかった作品に込められた意味、そして謎多きオーヴェールでの日々。これらを知ることで、ヴィンセント・ファン・ゴッホという画家の人生の幕引きが、今までとは全く違った色彩で見えてくるはずです。
- カラスのいる麦畑が最後の作品ではない決定的な理由
- 2020年のロックダウン中に発見された真の絶筆『木の根』の全貌
- 絵葉書によって特定された「ゴッホが最後に立っていた場所」と当日の足取り
- 遺作としての評価、驚愕の市場価値、そして消された黒猫のミステリー
ゴッホ最後の絵の真実は「カラスのいる麦畑」ではなかった
長い間、ゴッホの人生のクライマックスを飾る作品として、あまりにも有名な物語として語られてきた『カラスのいる麦畑』。しかし、現代の美術史研究においては、この作品が絶筆であるという説は明確に否定されています。
ここでは、なぜそのような誤解が広まったのかという背景と、科学的な調査によって特定された「本当の最後の絵」について、その発見の経緯から詳しく解説していきます。
「カラスのいる麦畑」が絶筆との誤解

ゴッホの絶筆といえば『カラスのいる麦畑』である。この認識は、単なる勘違いというレベルを超えて、一種の「文化的常識」として世界中に浸透しています。どんよりと垂れ込める紺碧の空、激しい筆致で描かれた黄金色の麦、そして画面手前から奥へと続くものの、どこにも行き着くことなく途切れてしまう三本の道。そして何より、死の使いのように舞う黒いカラスたち。この絵の持つ視覚的なインパクトは強烈で、これから自ら命を絶とうとする画家の「絶望」や「死の予兆」を表現したものとして、あまりにも完璧すぎる条件が揃っているのです。
実は、この「カラス=絶筆」という神話を決定づけたのは、ハリウッド映画の影響が非常に大きいと言われています。1956年に公開されたカーク・ダグラス主演の映画『炎の人ゴッホ』では、ゴッホがこの絵を狂気の中で完成させ、その直後に麦畑の中で自らに銃を向けるシーンがドラマチックに描かれました。この映画の演出があまりに鮮烈で感動的だったため、多くの人々が「これが真実だ」と信じ込んでしまったのです。物語としては非常に美しいのですが、事実はもう少し複雑で、そしてある意味ではもっと静かなものでした。
実際には、ゴッホが弟テオに宛てた手紙(1890年7月10日頃)の中で、すでにこの作品(または類似の大作)について言及しています。彼はその後も7月14日に『オーヴェールの町役場』や『ドービニーの庭』など複数の作品を描き続けており、時系列的にも『カラスのいる麦畑』が最後ではないことが、書簡の研究から確定しているのです。
2020年に特定された真の絶筆「木の根と幹」

では、『カラスのいる麦畑』の後に描かれた、本当の意味での「絶筆」は何だったのでしょうか?その答えが確定したのは、ゴッホの死から130年が経過した、なんと2020年のことでした。世界中が新型コロナウイルスのパンデミックによるロックダウンに見舞われ、美術館も閉鎖されていた最中に、美術史を覆す驚くべき発見がもたらされたのです。
新たに「ゴッホが最後に筆を入れた絵」として特定されたのは、『木の根と幹』という未完の作品です。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に所蔵されているこの絵は、これまでも「最後の時期に描かれたものの一つ」とは考えられていましたが、決定的な証拠がありませんでした。しかし、ある一枚の古い写真の発見がすべてを変えました。
『木の根と幹』は、一見すると何が描かれているのか分かりにくい、非常に抽象的な作品です。空も地平線もなく、画面全体を青い太い根と、黄土色の地面、そして緑の植物が埋め尽くしています。カラスの絵のようなわかりやすい「物語」はありませんが、そこには植物の生命力と、複雑に絡み合う自然の造形に対する画家の執拗なまでの観察眼が刻まれていました。ファン・ゴッホ美術館は、詳細な検証を経て、この発見を公式に認定しています。
この発見をしたのは、ファン・ゴッホ研究所の科学ディレクター、ヴァウター・ヴァン・デア・ベーン氏です。彼は自宅待機中にデジタルアーカイブを整理していて、偶然にも歴史的な発見を成し遂げました。まさに「棚からぼたもち」ならぬ「ロックダウンが生んだ奇跡」と言えるでしょう。
「木の根と幹」が描かれた場所はどこ?
この『木の根と幹』が絶筆であると特定されるに至った経緯は、まるで極上のミステリー小説のようです。ヴァン・デア・ベーン氏がフランスのストラスブールにある自宅で見ていたのは、1900年から1910年頃に撮影された「オーヴェール=シュル=オワーズ」の古い絵葉書でした。

その絵葉書には、自転車を押す男性の後ろに、石灰岩の斜面から露出した樹木の根や幹が写り込んでいました。彼はその根の形に見覚えがありました。「これは、あの『木の根と幹』と同じではないか?」。直感的にそう感じた彼は、絵画と写真を詳細に比較し始めました。
その後、ロックダウンが解除されるのを待って行われた現地調査と、樹木学者を交えた専門的な検証により、絵画に描かれた根のねじれ具合、分岐の角度、そして斜面の地形が、写真(および現在も残るその場所の痕跡)と驚くほど一致することが確認されました。ゴッホがキャンバスを立てたその場所は、オーヴェールのドービニー通り46番地付近。彼が下宿していた「ラヴー亭」からわずか150メートル、歩いて数分もかからない目と鼻の先だったのです。

130年もの間、世界中の研究者や観光客がこの場所の目の前を通り過ぎていたにもかかわらず、誰もそこが「最後の傑作」の舞台だとは気づきませんでした。まさに「木を隠すなら森の中」、あるいは「灯台下暗し」を地で行くエピソードです。
Googleマップで現状を確認してみよう
「木の根と幹」が描かれた場所はGoogleマップで確認することができましたが、ストリートビューでは2022年現在で、下記のような塀で覆われているようです。
しかし、2024年9月に投稿された下記の情報によると、金網のフェンスで覆われているようです。
自殺の直前まで制作された遺作
場所の特定だけでなく、この絵が描かれた「時間」までもが科学的に解明されたことで、『木の根と幹』が絶筆であるという事実はさらに重みを増しました。ファン・ゴッホ美術館の研究チームが、絵画の中に描かれた影の落ち方や光の色彩を詳細に分析した結果、この絵は「午後の遅い時間帯」の光の中で描かれたことが判明したのです。
1890年7月27日、ゴッホは夕方に腹部を撃ち抜かれた状態で、よろめきながらラヴー亭に戻ってきました。光の分析結果とこの事実を照らし合わせると、一つの衝撃的な結論が導き出されます。それは、彼が銃弾に倒れるその日の夕刻、おそらくは直前まで、このドービニー通りの斜面に向き合い、絵筆を動かしていたということです。
これまで、ゴッホの自殺は発作的な狂気や錯乱の結果として語られることが多くありました。しかし、この発見は、彼が死の直前まで極めて冷静に、画家としての規律を守り、制作活動に没頭していた可能性を示唆しています。つまり、絵が「未完」で終わっているのは、彼が描き飽きたからでも、描けなくなったからでもなく、何らかの突発的な事態——それは自ら引き金を引く決意だったのか、あるいは予期せぬトラブルだったのかは定かではありませんが——によって、強制的に中断されたことを意味しているのです。
「木の根と幹」が持つ深い意味
『木の根と幹』という作品を改めて見つめ直すと、そこにはゴッホの人生観そのものが凝縮されているように思えます。この絵は明らかに未完成で、特に画面の下部にはキャンバスの地が透けて見える箇所があり、時間が唐突にプツリと途切れたことを生々しく伝えています。
ゴッホは、かつてオランダのハーグで暮らしていた頃の手紙(1882年)の中で、木の根を「人生の闘争」の象徴として語っていました。固い地面にしがみつき、嵐に耐え、必死に養分を求めて伸びようとする根の姿。彼はその姿に、不器用ながらも懸命に生きようとする自分自身や、労働者たちの姿を重ね合わせていたのかもしれません。
死の当日にこのモチーフを選んだという事実は、彼が最後まで「生」を諦めていなかったことの証左ではないでしょうか。画面全体を埋め尽くす青と茶色と緑の複雑な絡み合いは、現代の抽象表現主義を予感させるほど革新的で、そこには絶望の暗闇ではなく、混沌としながらも力強い生命のエネルギーが満ち溢れています。私には、この絵が「まだ描きたい、まだ生きたい」という画家の魂の叫びのように見えてなりません。
【参考情報:発見に関する公式発表】
この歴史的な発見に関する詳細な経緯や比較画像は、ファン・ゴッホ美術館の公式サイトで確認することができます。ご興味のある方は、ぜひ一次情報にも触れてみてください。
Van Gogh Museum discovers location of Van Gogh’s last painting(出典:Van Gogh Museum)
ゴッホ最後の絵に関連する作品と評価
『木の根と幹』が「制作途中で終わった真の絶筆」であるならば、ゴッホが死の直前に完成させた「最後の大作」や、彼の死にまつわる作品群には、他にも語るべき物語がたくさんあります。ここからは、作品の市場価値や技法の秘密、そして謎めいた「消された黒猫」のエピソードなど、少し違った角度からゴッホの最期と遺産に迫ってみましょう。
ドービニーの庭と消された黒猫
『木の根と幹』と並んで、ゴッホの最晩年を語る上で欠かせないのが『ドービニーの庭』という作品です。これは、ゴッホが深く敬愛していたバルビゾン派の巨匠、シャルル=フランソワ・ドービニーの旧邸宅の庭を描いたもので、彼が亡くなる数日前に完成させた「完成作としての最後の主要作品」と言われています。
この作品には、日本の美術ファンにとって特に興味深いミステリーが存在します。『ドービニーの庭』には主に2つのバージョンがあり、一つはスイスのバーゼル市立美術館、もう一つは日本のひろしま美術館が所蔵しています。問題なのは、ひろしま美術館にあるバージョンです。実はこの絵、かつては描かれていたはずの「黒猫」が、忽然と姿を消しているのです。
近年の科学的な調査(X線撮影など)により、画面左下の芝生部分に、かつて黒猫が描かれていた痕跡がはっきりと確認されました。では、一体誰が、何のために猫を消したのでしょうか?
最も有力な説は、ゴッホの死後、この絵を所有した画家のエミール・シェフネッケルや画商が、絵を売りやすくするために「修正」したというものです。当時、画面の前景に黒猫がいる構図は奇抜すぎると判断されたか、あるいは不吉だと敬遠されるのを恐れたのかもしれません。ゴッホ自身の意志ではなく、他人の手によって改変されてしまった悲劇の作品とも言えます。


死を予感させる怖い絵という印象
ゴッホの晩年、特にオーヴェール時代の作品には、どこか見る者を不安にさせる「怖さ」があります。『カラスのいる麦畑』はもちろん、『雷雲の下の麦畑』や『オーヴェールの教会』など、うねるような激しい筆致と、現実離れした強烈な色彩の対比は、彼の精神が限界に達していたことの表れだと解釈されることが一般的です。
確かに、当時のゴッホは将来への不安や孤独感に苛まれていました。しかし、彼自身の手紙を読むと、少し違った側面も見えてきます。彼はこれらの風景画を通して、「悲しみ」や「孤独」を表現したことを認めつつも、同時に田舎の自然が持つ「健全さ」や「活力」をも伝えようとしていたのです。私たち現代人が見て「狂気」や「怖さ」を感じる表現も、ゴッホにとっては、自身の崩れそうな精神をなんとかキャンバスの上に繋ぎ止め、心の平穏を取り戻すための、必死の「治療行為」だったのかもしれません。カラスも、必ずしも死の象徴ではなく、自然のサイクルの一部として描かれたという解釈も成り立ちます。


作品の技法に関する詳細な解説
オーヴェールでの最後の70日間、ゴッホは「ダブルスクエア(double-square)」と呼ばれる、50cm × 100cmの横長のキャンバスを好んで使用しました。『木の根と幹』、『カラスのいる麦畑』、『ドービニーの庭』、『雷雲の下の麦畑』など、この時期の主要な作品の多くが、この独特なフォーマットで描かれています。
通常、風景画といえばF号などの長方形が一般的ですが、ゴッホはあえて極端に横に長い画面を選びました。これは、広大な麦畑や庭園の広がりを、まるでパノラマ写真のようにダイナミックに表現するための工夫でした。また、彼はこれらの作品を、将来的に装飾的なパネル画のシリーズとして展示することを構想していたとも言われています。
死の直前まで、彼は単に感情のままに筆を走らせていたわけではなく、新しい画面構成や装飾的な効果について冷静に計算し、芸術的な実験を続けていました。この飽くなき探究心こそが、ゴッホが真の天才と呼ばれる所以(ゆえん)でしょう。
驚愕の値段が付く作品の市場価値
「ゴッホはお金になる」——あまりに世俗的な響きですが、ゴッホの物語において「お金」の話は避けて通れません。生前、彼が確実に売ることができた絵画は『赤い葡萄畑』のたった1枚、価格は400フラン(現在の価値で数万〜数十万円程度)だったと言われています。弟テオの援助なしには画材も買えない、清貧の画家でした。
しかし、彼の死後、その評価は劇的に逆転します。特に1980年代後半のバブル期以降、ゴッホ作品の価格は天井知らずの高騰を続けました。1987年に安田火災海上(現・損害保険ジャパン)が『ひまわり』を約58億円で購入したニュースは、日本中を騒がせました。
| 作品名 | 落札時期 | 落札価格(約) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 医師ガシェの肖像 | 1990年 | 125億円 | 当時の絵画取引史上最高額を記録 |
| 小麦の山 | 2021年 | 41億円 | ナチスによる略奪の歴史を持つ水彩画 |
| モンマルトルの街の光景 | 2021年 | 16億円 | 100年以上も個人蔵で秘蔵されていた作品 |
| 女性の頭部 | 2024年 | 14億円 | オランダの美術館が購入 |
もし仮に、真の絶筆である『木の根と幹』がオークションに出されるようなことがあれば(美術館所蔵のため現実的にはあり得ませんが)、その歴史的な重要性から、数百億円、あるいは「プライスレス」な評価となることは間違いありません。屋根裏部屋で見つかった1枚のスケッチですら、ゴッホの真作と認定されれば、一夜にして億万長者になれる——それが現在の「ゴッホ・マーケット」の現実です。

終焉の地オーヴェールでの日々

1890年5月、南仏のサン=レミ精神病院を退院したゴッホは、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移り住みました。そこで彼を待っていたのは、精神科医であり美術愛好家でもあったポール・ガシェ医師との出会いでした。当初、二人は意気投合しましたが、次第に関係はぎくしゃくしたものになっていきました。
このオーヴェールでの滞在期間は、わずか70日ほどでした。しかし驚くべきことに、ゴッホはこの短い期間に、油彩画約80点、ドローイング60点以上という、信じられない量の作品を残しています。単純計算で、1日に1点以上のペースで作品を完成させていたことになります。
朝起きて絵を描き、昼も描き、夕方も描く。この時期のゴッホは、まるで何かに取り憑かれたかのような速度で制作を続けました。それは、弟テオの息子が病気になったことや、テオ自身の仕事のトラブルなどに対する「弟の負担になりたくない」という焦り、そして「描くことだけが自分の存在証明である」という切実な思いが原動力になっていたのかもしれません。この70日間の奇跡的な多作ぶりは、美術史上類を見ない壮絶なドラマです。
ゴッホ最後の絵が語る生への執着
ここまで、ゴッホの最後の絵をめぐる真実と、その背景にある物語を詳しく見てきました。『カラスのいる麦畑』に見られるような、わかりやすい「絶望」の物語は否定されました。しかし、その代わりに私たちが見つけた『木の根と幹』の真実は、より人間味に溢れ、胸を打つものです。
死の当日、夕暮れが迫る中、ゴッホはラヴー亭のすぐそばにある、何の変哲もない木の根の前に座り込みました。そして、その複雑に絡み合う根の姿を、鮮烈な色彩でキャンバスに定着させようと筆を動かし続けました。そこにあるのは、死へのロマンチックな憧れや諦念ではなく、泥臭いまでの「生への強烈な執着」と、画家としての「描写への誠実さ」です。
2020年の発見は、ゴッホという画家の最期を「狂気による自滅」から「制作の途中での不意の切断」へと再定義しました。彼は最後の瞬間まで、世界をよく見て、それを描こうとしていました。もし美術館で、あるいは画集で『木の根と幹』を見る機会があれば、ぜひ思い出してください。この未完の絵こそが、ヴィンセント・ファン・ゴッホが最後に見た「生の世界」そのものなのだと。
