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ゴッホの自画像の特徴を年代別に解説!鑑賞できる場所も紹介

フィンセント・ファン・ゴッホと聞くと、多くの人が燃えるような情熱的な絵画を思い浮かべるのではないでしょうか。中でも、彼が数多く残した自画像は、単なる肖像画を超えた画家の魂の記録として、私たちの心を強く惹きつけます。しかし、それらの作品を前にしたとき、なぜこれほど何枚も描かれたのか、その特徴的な筆使いや技法にはどのような気持ちが込められているのか、といった疑問が浮かぶかもしれません。

ゴッホの人生は、有名な耳切り事件に象徴されるように、苦悩と創造の連続でした。アルル時代の代表作品である耳なしの自画像は、その最もたる例です。彼の自画像は、年代順の一覧で見ていくと、作風や内面の変化が手に取るように分かります。

この記事では、ゴッホの自画像が持つ特徴を深く掘り下げていきます。また、それらの貴重な作品をどこで見ることができるのか、世界の有名美術館から、日本国内で鑑賞可能な場所、さらには開催が予定されている注目の大ゴッホ展の情報まで、詳しくご紹介します。

この記事で分かること
  • ゴッホが多くの自画像を描いた理由と、そこに込められた心情
  • 年代ごとの作風の変遷と、筆致や色彩といった具体的な技法の特徴
  • 有名な「耳切り事件」の背景と、それに関連する自画像の詳細
  • ゴッホの自画像を鑑賞できる国内外の美術館や、特別展の情報
目次

ゴッホの自画像の特徴と内面の変遷

  • ゴッホの自画像の概要を解説
  • なぜ多くの自画像を描いたのか、その気持ち
  • 特徴的な筆使いと色彩の技法
  • 自画像の変遷:年代別の作風と代表作品にみる画家の心の軌跡
  • 耳なしの自画像とアルルの耳切り事件

ゴッホの自画像の概要を解説

ゴッホの自画像の概要を解説
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ゴッホの自画像は、1886年から1889年にかけてのわずか3年ほどの期間に集中的に制作された、約35点の油彩画シリーズを指します。これらの作品群は、ゴッホの芸術家としての足跡と、彼の精神的な旅路を克明に記録した、美術史上極めて貴重な資料と考えられています。

これらの自画像は、単に外見を写し取ったものではありません。むしろ、ゴッホが自己の内面と向き合い、対話し、そして芸術家としてのアイデンティティを確立しようとした葛藤の記録です。パリでの印象派との出会いから、南仏アルルでの鮮烈な色彩の探求、そしてサン=レミの療養所での渦巻くような感情の表現まで、彼の人生の各段階における心理状態や芸術的関心が色濃く反映されています。

したがって、ゴッ-ホの自画像シリーズを追うことは、彼の芸術の核心に触れるだけでなく、フィンセント・ファン・ゴッホという一人の人間の苦悩と情熱の軌跡をたどる旅路そのものと言えるでしょう。

なぜ多くの自画像を描いたのか、その気持ち

なぜ多くの自画像を描いたのか、その気持ち
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ゴッホがこれほど多くの自画像を描き続けた背景には、複数の理由が複雑に絡み合っていると考えられます。

第一に、最も現実的な理由として、経済的な困窮が挙げられます。画家としてのキャリアを通じて、ゴッホは常に貧しい生活を余儀なくされていました。人物画の探求に情熱を燃やしていましたが、モデルを雇うための資金的余裕がなかったのです。そのため、いつでも自由に描くことができる最も身近な対象、つまり自分自身をモデルにせざるを得ませんでした。鏡に映る自分は、彼にとって無料で無尽蔵の画題だったのです。

第二に、自画像は新しい表現を試すための「実験場」としての役割を果たしていました。特にパリ時代には、印象派や新印象派の画家たちから吸収した新しい色彩理論や筆触分割といった技法を、自身の顔をキャンバスに次々と試しています。自画像は、ゴッホが独自のスタイルを築き上げていく上で、欠かすことのできない練習台だったと言えます。

そして第三に、そしておそらく最も本質的な理由として、自己探求の手段であったことが挙げられます。鏡の中の自分と向き合う時間は、ゴッホにとって内面の喜び、不安、情熱、苦悩といった複雑な感情を深く見つめるプロセスでした。彼の自画像は単なる外見の記録ではなく、その時々の精神状態を赤裸々に映し出す「魂の肖像」であり、彼自身の存在を確かめるための重要な行為だったのです。

特徴的な筆使いと色彩の技法

特徴的な筆使いと色彩の技法
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ゴッホの自画像を語る上で、その独特で力強い表現技法は欠かすことができません。彼の作品が観る者に強烈な印象を与えるのは、革新的な筆使いと色彩の技法によるものが大きいと考えられます。

力強い筆致(インパスト)

ゴッホの作品、特に自画像では、絵の具を厚く塗り重ねる「インパスト」という技法が多用されています。短く、力強く、そして方向性を持った筆の跡(タッチ)は、まるで彫刻のようにキャンバス上に盛り上がり、作品に立体感と生命感を与えています。この荒々しくも見える筆致は、ゴッホの内面からほとばしるエネルギーや感情の高ぶりを直接的に表現しており、観る者に画家の息遣いすら感じさせます。

感情を表現する色彩

ゴッホは、見たままの色を再現するのではなく、感情を表現するために色彩を戦略的に用いました。特に、補色(色相環で反対に位置する色同士、例えば青と黄色、赤と緑)を隣り合わせに配置する技法を好んで使っています。補色を並べることで、互いの色がより鮮やかに見え、画面に強烈な視覚的インパクトと緊張感を生み出しました。彼の自画像の背景や衣服に見られる鮮やかな色彩は、単なる装飾ではなく、その時々の彼の心理状態を雄弁に物語る象徴なのです。

内面を映すための歪み

伝統的な遠近法や正確なデッサンから意図的に逸脱し、感情を表現するために形を歪めることも、ゴッホの技法の特徴です。彼の自画像に見られる、やや非対称な顔の輪郭や空間の歪みは、写実的な正確さよりも、内面の不安や緊張感といった精神的な真実を伝えることを優先した結果と言えます。

これらの技法が一体となることで、ゴッホの自画像は単なる肖像画の枠を超え、画家の魂が刻み込まれた芸術作品として、今なお私たちの心を揺さぶるのです。

自画像の変遷:年代別の作風と代表作品にみる画家の心の軌跡

自画像の変遷:年代別の作風と代表作品にみる画家の心の軌跡
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フィンセント・ファン・ゴッホは、その短い画業の中で、後世に強烈な印象を残す自画像を数多く制作しました。研究者によって見解に多少の差はありますが、一般的に油彩による自画像は約35点から37点存在すると考えられています。驚くべきことに、これらの作品のほとんどは、彼がフランスへ移住した後の1886年から1889年にかけてのわずか3年間という、極めて短い期間に集中して描かれました。

この3年間は、ゴッホの人生において最も激動し、彼の芸術が劇的に変化を遂げた時期と重なります。そのため、彼の自画像を年代順に、そして各時代を象徴する代表作品と照らし合わせながら追っていくことは、単に作風のテクニカルな変化を理解するだけでなく、彼の希望、情熱、苦悩、そして絶え間ない自己探求といった、魂の軌跡そのものをたどる旅路となります。

パリ時代(1886年~1888年):実験と模索の時代

ゴッホが最も多くの自画像を描いたのが、弟テオを頼って移り住んだパリでの時代です。この時期の自画像は、彼の芸術的「実験」の記録と言えるでしょう。パリに来た当初の作品は、故郷オランダ時代の暗く重い色調をまだ引きずっています。しかし、クロード・モネやジョルジュ・スーラといった印象派・新印象派の画家たちと交流する中で、彼のパレットは劇的に明るくなっていきます。

光と色彩の効果を探求し、点描のような新しい筆使いを試すなど、彼は鏡に映る自身の顔をキャンバスに、吸収した技法を次々と試しました。「麦わら帽子の自画像」シリーズに代表されるように、この時期の作品群は、ゴッホが一人の芸術家として独自のスタイルを確立しようと、懸命に模索し、成長していく過程を鮮明に映し出しています。

画像出典:フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をした耳の自画像」(1889年、シカゴ)。出典:ウィキメディア・コモンズ

アルル時代(1888年~1889年):情熱の頂点と崩壊

パリの喧騒を離れ、日本の浮世絵のような明るい光を求めて南仏アルルへ移ったこの時期、ゴッホの芸術は頂点に達します。南仏の強烈な太陽光は彼の色彩をさらに鮮やかなものにし、特に「黄色」が彼の感情を表現する色として多用されました。

この時代の幕開けを象徴するのが、『自画像(ゴーギャンに捧ぐ)』(1888年)です。友人ポール・ゴーギャンとの芸術家共同体の設立を夢見て描かれたこの作品では、ゴッホは自身を日本の僧侶のような求道的な姿で表現しました。短く刈り込んだ髪、鋭い眼差し、固く結ばれた口元からは、芸術に対する真摯な情熱と強い意志がみなぎっています。しかし同時に、その張り詰めた表情には、これから始まる共同生活への過大な期待と、それが故の不安が潜んでいたようにも見えます。

しかし、この情熱の時代は長くは続きませんでした。前述の通り、ゴーギャンとの関係は破綻し、ゴッホは自らの耳を切り落とすという悲劇的な事件を起こします。このアルル時代の終わりは、彼の人生における大きな転換点となりました。

画像出典:フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像(ポール・ゴーギャンに献呈)」(1888年9月、フォッグ美術館、ケンブリッジ、マサチューセッツ州、アメリカ合衆国)。出典:ウィキメディア・コモンズ

サン=レミ時代(1889年~1890年):苦悩と不屈の魂

アルルでの事件の後、ゴッホはサン=レミにある精神病院で療養生活を送ります。この時期に描かれた自画像は、彼の内面の嵐と、それに抗う不屈の魂を見事に描き出しています。

その移行期を象徴するのが、耳切り事件の直後に描かれた『耳を切った自画像』(1889年)です。右耳に巻かれた包帯が生々しく事件の痛ましさを物語る一方で、その表情は驚くほど冷静で、鑑賞者をまっすぐに見つめています。背景に日本の浮世絵が掛けられている点は、ゴッホが精神的な混乱の極みにありながらも、敬愛する芸術に救いや秩序を求めていたことの表れでしょう。この作品は、狂気と正気の狭間で揺れ動きながらも、創作へと向かう彼の複雑な心境を雄弁に物語っています。

画像出典:フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をした耳の自画像」(1889年、アルル)。出典:ウィキメディア・コモンズ
画像出典:フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をした耳の自画像」(1889年、シカゴ)。出典:ウィキメディア・コモンズ

そして、サン=レミ時代の芸術的頂点を示すのが、最も有名な傑作の一つである**『自画像』(1889年、オルセー美術館所蔵)**です。青を基調とした背景は、まるで生き物のように渦を巻き、彼の内なる精神の混沌を象徴しているかのようです。その嵐の中心で、画家は痩せこけ、厳しい表情でこちらを凝視しています。その視線は、病による深い苦悩と対峙しながらも決して屈しない、芸術家としての強い矜持と意志に満ちあふれています。

このように、ゴッホの自画像は単なる自身の姿の記録ではありません。パリでの希望に満ちた実験、アルルでの燃えるような情熱、そしてサン=レミでの魂の葛藤と、彼の人生の各段階における心の叫びそのものなのです。これらの作品を年代順にたどることで、私たちはフィンセント・ファン・ゴッホという一人の人間の、あまりにも人間的なドラマを追体験することができるでしょう。

アルルの耳切り事件と耳なしの自画像

ゴッホの生涯を語る上で最も衝撃的なエピソードである「耳切り事件」と、その後に描かれた「耳なし」の自画像は、彼の芸術と人生を理解する上で避けて通れないテーマです。

事件が起きたのは1888年12月23日の夜、南仏アルルでのことでした。ゴッホは、芸術家の共同体を設立する夢を抱き、ポール・ゴーギャンを「黄色い家」に招き入れ共同生活を始めます。しかし、制作に対する価値観の違いから二人の関係は急速に悪化し、口論が絶えませんでした。事件の夜、激しい口論の末にゴーギャンがアトリエを出ていくと脅したことに、ゴッホは精神的に追い詰められます。そして、剃刀で自身の左耳の一部を切り落とし、その切り取った耳を新聞紙に包むと、行きつけの娼館にいたラシェルという名の娼婦に「この品を大事に取っておいてくれ」と言って手渡したのです。

この常軌を逸した行動の直接的な原因については、今なお多くの説があります。ゴーギャンとの関係破綻による絶望、かねてからの精神的な不安定さ、そして弟テオの婚約を知り、唯一の理解者を失うことへの恐怖などが複合的に作用したと考えられています。

事件後、アルルの病院に入院したゴッホは、退院するとすぐに2点の自画像を描きます。『包帯をしてパイプをくわえた自画像』と『包帯をした自画像』です。これらの作品では、右耳に包帯が巻かれていますが、これは鏡を見て描いたため左右が反転しているからです。事件の衝撃を物語る痛々しい姿とは対照的に、その表情は比較的落ち着いており、画家の複雑な心境がうかがえます。これらの自画像は、ゴッホが自らの行為とその結果を冷静に見つめ、再び制作に向き合おうとする、芸術家としての強い意志の表れと見ることができるでしょう。

ゴッホの自画像の特徴と鑑賞できる場所

  • 自画像はどこで見られる?世界の美術館
  • 日本のどこかでゴッホ作品は見られる?
  • 注目の大ゴッホ展で来日する作品
  • ゴッホの出身地とプロフィールを紹介

自画像はどこで見られる?世界の美術館

自画像はどこで見られる?世界の美術館
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ゴッホの自画像は、世界中の名高い美術館に所蔵されており、彼の芸術を間近で体感することができます。特に、以下の美術館はゴッホのコレクションが充実していることで知られています。

ファン・ゴッホ美術館(オランダ、アムステルダム)

世界最大のゴッホ作品コレクションを誇る美術館です。彼の画業の初期から晩年に至るまでの油彩画約200点、素描約500点を所蔵しており、自画像も多数含まれています。『灰色フェルト帽の自画像』や『画家としての自画像』など、パリ時代の重要な自画像を鑑賞することができます。ゴッホの芸術の変遷をたどるには、必見の場所です。

オルセー美術館(フランス、パリ)


印象派・ポスト印象派の殿堂として知られる美術館で、ゴッホの傑作も多数所蔵しています。中でも、サン=レミ時代に描かれた『自画像』(1889年)は、渦巻く背景と鋭い眼差しが圧巻の、彼の自画像の最高傑作と名高い作品です。パリ滞在中に描かれた、より明るい色調の自画像も所蔵されています。

コートールド美術館(イギリス、ロンドン)

小規模ながら質の高いコレクションで知られ、ゴッホの重要な作品を所蔵しています。特に有名なのが、耳切り事件の直後に描かれた『包帯をした自画像』です。事件の衝撃と画家の内面を生々しく伝えるこの作品は、多くの人々を惹きつけてやみません。

これらの美術館を訪れる際は、公式サイトで最新の展示情報を確認することをおすすめします。作品は貸し出し中であったり、修復中であったりすることもありますので、注意が必要です。

日本のどこかでゴッホ作品は見られる?

海外の美術館まで足を運ばなくても、日本国内でゴッホの作品を鑑賞する機会は存在します。常設展示されている作品は限られていますが、非常に価値の高いものです。

現在、日本で常設展示されているゴッホの作品として最も有名なのは、東京・新宿にあるSOMPO美術館が所蔵する『ひまわり』です。これはゴッホの代名詞とも言える作品群の一つで、アルル時代に描かれたものです。自画像ではありませんが、ゴッホの力強い筆致や鮮やかな色彩といった芸術的特徴を存分に感じ取ることができます。

自画像そのものが日本の美術館に常設されているわけではありませんが、過去には企画展などで来日した実績があります。また、後述する大規模な展覧会のように、期間限定で複数の作品が来日することもあります。

そのため、日本でゴッホの自画像を見るには、各美術館や展覧会の公式サイト、美術情報サイトなどで開催される特別展の情報をこまめにチェックすることが大切です。いつ、どこで貴重な作品に出会えるか分かりませんので、アンテナを張っておくと良いでしょう。

日本のどこかでゴッホ作品は見られる?
画像出典:Vincent van Gogh – Vase with Fifteen Sunflowers(F457)、1889年、東京・SOMPO美術館所蔵。出典:Wikimedia Commons

注目の大ゴッホ展で来日する作品

ゴッホファンにとって、近年最大級の朗報と言えるのが、2025年から2028年にかけて日本で開催される「大ゴッホ展」です。この展覧会は、世界第2位のゴッホ・コレクションを誇るオランダのクレラー=ミュラー美術館の所蔵品を中心に構成され、数々の傑作が数十年ぶりに日本で公開される貴重な機会となります。

大ゴッホ展の公式サイトはこちら

展覧会は第1期と第2期に分かれており、神戸、福島、そして東京の3都市を巡回する予定です。

会場第1期第2期
神戸市立博物館2025年9月20日~2026年2月1日2027年2月~5月頃
福島県立美術館2026年2月21日~5月10日2027年6月19日~9月26日
上野の森美術館2026年5月29日~8月12日2027年10月頃~2028年1月頃

来日する注目の作品

この展覧会では、ゴッホのキャリアを語る上で欠かせない作品が多数来日します。

第1期展示の目玉

第1期では、アルル時代の傑作『夜のカフェテラス』や、パリ時代に描かれた『自画像』(1887年)などが展示される予定です。初期のオランダ時代からアルル時代までのゴッホの画業をたどることができます。

第2期展示の目玉

第2期では、ゴッホの最高傑作の一つであり、オランダの国宝でもある『アルルの跳ね橋』が、実に約70年ぶりに来日します。貸し出されることが極めて稀なこの作品を日本で見られるのは、またとない機会です。

この「大ゴッホ展」は、ゴッホの自画像を含む数々の名作を日本でまとめて鑑賞できる絶好のチャンスです。開催時期やチケット情報などの詳細については、展覧会の公式サイトで最新情報を確認することをおすすめします。

ゴッホの出身地とプロフィールを紹介

ゴッホの自画像や作品をより深く理解するためには、彼の人物像や生涯について知ることが助けになります。

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、1853年3月30日にオランダ南部のズンデルトという村で、プロテスタント牧師の家庭に長男として生まれました。彼は生涯を通じて、気性が激しく、周囲とのコミュニケーションに苦労することが多かったと言われています。

画家としてのキャリアをスタートさせたのは、1880年、27歳の時と比較的遅咲きでした。それ以前は、画商の店員、教師、書店員、そして聖職者を目指すなど、様々な職を転々としますが、いずれもうまくいきませんでした。画家になる決意をしてから1890年に37歳で亡くなるまでのわずか10年間で、彼は約2100点もの驚異的な数の作品を制作します。

彼の画家人生は、弟テオの経済的、精神的な支えなしには成り立ちませんでした。二人の間で交わされた膨大な量の手紙は、ゴッホの制作意図や日々の苦悩を知る上での一級の資料となっています。

生前、彼の作品はほとんど評価されず、売れた絵はたった1枚(『赤い葡萄畑』)だったと言われています。貧困と精神的な病に苦しみ続けた彼の人生は、1890年7月、フランスのオーヴェール=シュル=オワーズの麦畑で自らピストルで胸を撃ち、その2日後に息を引き取るという悲劇的な形で幕を閉じました。

しかし、彼の死後、その独創的で感情豊かな表現力は急速に評価を高め、今ではパブロ・ピカソと並び、世界で最も有名で影響力のある近代画家の一人として不動の地位を築いています。

総括するゴッホの自画像の特徴と魅力

記事の内容をまとめましたのでご覧ください。

  • ゴッホは生涯で約35点の油彩による自画像を描いた
  • 制作期間は主に1886年から1889年の3年間に集中している
  • 自画像を描いた理由にはモデル代の節約という現実的な側面があった
  • 新しい技法を試す実験場として自画像を活用した
  • 自己の内面と向き合うための自己探求の手段でもあった
  • 力強い筆致(インパスト)と感情的な色彩の使用が大きな特徴
  • 補色を対比させることで画面に強烈なインパクトを与えた
  • パリ時代には印象派の影響で色彩が明るく変化した
  • アルル時代には南仏の光のもとで芸術が頂点に達した
  • 有名な耳切り事件はゴーギャンとの関係破綻が引き金となった
  • 事件後、耳に包帯を巻いた痛々しい姿の自画像を描いている
  • サン=レミの療養所時代には渦巻くような筆致が多用された
  • 自画像の作風の変遷はゴッホの人生の軌跡と精神状態を反映している
  • 世界の有名美術館、特にオランダのファン・ゴッホ美術館やパリのオルセー美術館で鑑賞可能
  • 2025年から2028年にかけて開催される「大ゴッホ展」で貴重な自画像や傑作が来日予定
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